きちんとした構成に仕上げる3

きちんとした構成の文章にしよう3

例文3よりももっとうまい書き方を考えよう

 「(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。」理由について、自分が考えていることは2つあるということをきちんと整理できていないと、例文2のような各文のつながりがよくわからない脈絡のない文章を書いてしまいます。
 この構成をしっかり把握して書く場合、一番簡単なのは例文3の様に理由を2つ並列に並べてしまう方法ですが、この文章の場合、もっとスマートないい方法があります。しかし、理由が2つあるわけですから、それらを併記しない以上、この理由に何らかの順序付けをしておかないと、書いた2つの理由が、分裂してしまって大変です。
 この2つの理由をどのように論じていけば、内容が分裂せずに、うまく論じることができるでしょうか。

原作者の意識の流れを大切にした添削(添削最終稿)

 さてこの添削課題もいよいよ大詰めです。気合いを入れて行きましょう。

【例文1-2】
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。
 (8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。
(※この例文1-2は、京都書房『国語表現Ⅱ』(国語Ⅱ007 平成15年文部科学省検定済み)の教科書P20を元に段落分けをしています。)

  1. (3)(5)(8)の認識と(6)(9)の認識とでは、どちらがより本質的な問題意識を含んでいますか。
  2. (3)(5)(8)の部分を生かしながら、(6)(9)の認識の部分をメインに据える文章に添削してみましょう。文章は自由に書き換えてかまいませんが、できるだけこの文章にある素材は生かすようにしてください。

 構成図を参考にもう一度載せておきます。

【構成図】
(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。
 理由

(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。

   そこから起こること

(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。
(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。

  
(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
   共通点

(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ
       ↓
やめるべき。

問題解決のヒント

 問1の答えは、もう迷いもなく(6)(9)でした。2つの理由の内、主題として論じるべきは、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」ですから、そこに持っていくために、(3)(5)(8)「年寄り扱いするな」という気持ちをどのように取り上げていくかというのが、推敲の勘所になります。
 この場合、理由の重さに違いがあるなら、2つを同じように並べて書いてしまっては内容がそこで分裂してしまうので、その違いをきちんと説明しておかないといけません。
 例文5を読んだ人の中には、「『おじいちゃん』と呼んでほしくないのは、何も『自分の個性が無視される』なんていうような大層な理由じゃないよ。年寄り扱いされたくないだけじゃないの。」というような反対意見を持つ人が出てこないでしょうか。
 深刻な奥深い問題を言おうとすればするほど、「そこまで深く考えなくても」という意見が出てくるものです。
 その意見に対して、例文5では全く配慮がありません。そこで、一般に「『おじいちゃん』と呼んでほしくないのは、年寄り扱いされたくないからだ」と考えられているけれども、これにはそれよりももっと本質的な問題が隠されている、というような方向で、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」と論じていくのです。そうすることで、反論を封じ込めながら持論を展開することができます。
 このような論理構成で出来上がるのは、下のような「起承転結」とでも説明できる文章です。

承……一般にみんな(3)(5)(8)のような理由でいけないと思っている。
転……実は、(6)(9)の様な本質的な問題が隠れていたんです。
結……だから、……

 『ねこの小論文・作文講義』をもうしっかり読んでいただいている方からは、「お薦めしないと言っていたじゃねえか。」という声が聞こえてきそうですが。
 「『起承転結』は練習するな」で説明したとおり、高校生が小論文・作文を書く場合、一般的には「起承転結」は使わない方がよい場合が多いのです。この説明を書き出すと『講義』の説明をまた繰り返さなければいけませんから、「起承転結」とはどういうものかも含めて、もう一度必ず「『起承転結』は練習するな」を復習しておいてくださいね。
 しかし、一般的な「起承転結」では、「転」の部分は、「起」「承」の部分から完全に論理が飛躍していて、「結」でオチを付けるパターンですが、この文章の場合は、「転」の部分で、より本質的な問題を話題にして論理を進めていくので、「承」の部分から「転」にかけて、論理的に飛躍しているわけでは全くありません。その結果、当然「結」の部分でも、「起」「承」と「転」の部分との論理的な飛躍にオチをつける必要もありません。
 ですから、このような「起承転結」は、極めて論理的な文章構成と言えます。漢詩などと同じ一般的な「起承転結」とは、形は似ていても、本質的には別物です。 

【例文6】  (下線部分は文章の改変箇所)
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。(第一段落)
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(第二段落)
 (4改)だが、高齢者が、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられて不快に感じることには、もっと本質的な問題が含まれている。(6改)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼なのである。(9改)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけをされて嫌な気がするのは、「おじいちゃん」や「おばあちゃん」ばかりではないはずだ。(第三段落)
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。(第四段落)
 (+10)このような高齢者に対する接し方を、今後我々も考えていかなければならないのではないか。(第五段落)

「起承転結」になったのは結果的にだ

 この添削例では、結果的に「起承転結」の段落構成になっています。
 よく文章の構成を勉強させようとして、どこで「起承転結」になっているかを指摘させたりします。作文指導という観点から見ると、私はこういう指導があまり好きではありません。
 それは、見かけが「起承転結」の構成になってはいても、それは多くの場合、「起承転結」の文章を書こうとしてそうなったのではなく、自分の書こうとすることをなるべく整理していった結果、結果的に「起承転結」になったものだからです。文章構成というのはそういうものなのです。例文5の場合もまさしくそうでした。
 文章を書くのに大切なことは、「その文章で言おうとすることに向かって、それを構成する部品たちがすべてきちんと役割を担って働いている」ということです。それ以外には何もありません。
 文章を「確かに〜しかし〜」だ、「起承転結」だ、「なるべく接続語を使う」だ、型から説明しようとする人は、往々にして、意味の流れを無視もしくは軽視してしまう傾向が強くなります。
 そのような指導者からまじめに指導を受けてしまうと、「何か部品は書いているけれど、そのつながりがどうしてそうなるのかどうも受け入れられない。」というような文章を書いて全く平気でいられるというような不幸なことになってしまいます。
 そうならないためには、たとえ型を意識する場合でも、「その文章で言おうとすることに向かって、それを構成する部品たちをすべてきちんと役割を持って働かせる」ことが、その型を使うことで本当にできるのかということは必ず検討しておかなければなりません。

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