実は筆者の思考はもっと混沌としている

実は筆者の思考はもっと混沌としている

 これまで三項にわたって、「『心の単純化』に陥らないために」を推敲する例を取り上げてきました。ここで例題にした部分は、教科書本文ではもうちょっと続きがあるので、実は先に整理した以上に筆者の思考の混沌は深いのです。
 ここまでかなり詳しく説明してきましたから、乗りかかった船で、最後まできちんとこの文章について見ておきましょう。(ただし、作文技術について性急に結果を得たい人はこのページは読まなくてかまいません。次のページに移ってください。)
 元の教科書本文では、下を見ていただくと分かるように、[2]の部分がさらに付け加わって、大きな意味段落を構成していて、これが、最初の大囲みの意味段落に続く二つめの意味段落になっています。

例題1 「心の単純化」に陥らないために 大石 静
 <前の意味段落>
 〜(「超MM」【超・マジ・ムカツク】のような若者言葉を、「イキイキとしたセンスのいい表現」であると説明した後)〜
問題は、こういうコトバを使う子たちが、こういうコトバを知らない人たちをバカにすることだ。
 橋本治氏が「若者言葉は方言の一種である」と書いておられるのを読んで、なるほどと思った。?方言?はよそ者を見分けるために生まれたという説もあるが、若者言葉も、その見分けのひとつとして存在している面がある。
 更に、これは日本だけの風潮らしいが、世の中が若さというものを、やたらとありがたがるので、若者は当然のごとく勘違いしてつけ上がる。若者言葉を解さないというだけで、積み重ねて来た経験の尊さを、笑い飛ばして平気な感覚を育ててしまう。
 一過性の若さは、誰でも手に入れることができ、いつか手放さなければならないという、あまりにも簡単な構図さえ、すべての人が見失いがちな昨今だ。
  〜(以後少し省略)〜

 

[ 1]  パソコンも、コトバと同じように急速に進化しているが、パソコンを操れるというだけで、操れない人より上に自分を位置づけている人が多い。

 いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、どこか奇妙なニュアンスがある。見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けた精神が、パソコンのキーボードから打ち出す言葉に、私はいつも抵抗を持つ。
 敬語や丁寧語の乱れと消失─これも言葉の進化の重要な一面であろう。他者との距離感や敬意が薄れたことが、敬語や丁寧語の消失を招いた原因であることは明らかだ。
 誰でも対等、誰に何を言っても平気、表現することの恐ろしさも知らず何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という風潮も危険だ。過激な言い方だが、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しい。そのことを認識すべきだろう。そうすれば、あえて発言する時の言葉の重さ、言葉の選択の仕方は、おのずと変わってくると、私は思う。

[ 2] 最初に例を挙げたような若者言葉を、若者同士で使うのは、それはそれでステキなことである。しかし、何か気に入らないことが全て「超MM」で片づけられてしまうとすると、それは精神を貧しくする

 例題を採った段落にさらに[2]ような内容の本文があるとすると、例題に採った部分だけでも、[1]とそれ以降の二つの部分に意味が分裂しているのに、[2]の部分も、これまた先の部分と続き具合が分からず、この段落は結局三つに分裂していることになります。
 さてこの段落にメインの部分とは一見つながらないように見える[1][2]がくっついてしまった理由ですが、それは前段とのつながりを見れば何となく分かってきます。
 前段の四角囲みのの意味は次項で取り上げたのでそれを見ていただくとして、[1]はそれとのつながりで、「パソコンを操る人も、自分たちだけを特別に考えていて、パソコンを操れない人を馬鹿にする傾向があるといっているのです。すなわちそれは、結局自分たち以外の人に「配慮や敬意が足りない」ということです。
 そのような意識が[2]に続いてきているので、若者言葉を使う人たちも、パソコンを操る人同様、自分たち以外の人に「配慮や敬意が足りないので、多様な言葉遣いができず、「精神が貧しくなる」といっているのです。
 どうもこのような説明では分かりにくいですね。これをもっと図式化していうと、筆者の意識の中では、若者言葉を使う人とパソコンを使う人とがともに特権意識を持つような感じで、自分たち以外の人に対して配慮や敬意を欠くということと、匿名でサイトの書き込みをする人が、他人に対して配慮や敬意を欠くということとが、共に「配慮や敬意を欠く」という点で共通しているので、オーバーラップして、重層構造になっているのです。
 しかしここまで意識が整理されないまま重層的になっていると、それをはっきり切り分けて、理解できる読者というのはまずいないでしょう。

ここまで混沌とすると正確に分かる人など誰もいない

 この文章は教科書に載っている文章ですから、多くの先生方がこれを取り上げ、多くの生徒がこれを読んだと思います。ですが、この文章がここまで説明したような構造になっていたとは、何人の人が本当に分かっていたでしょうか。
 前段との関わりで[1]を問題にし、ここでは取り上げなかった後段との関わりで[2]を説明することはあるでしょう。しかし、この例題が含まれている段落を[1][2]のつながり具合を含めてきちんと理解して分かりやすく授業をすることなどほとんど不可能ではないでしょうか。かく言う私も昨年ここを授業したときには、この構造をここまでは把握できていませんでした。
 もっとも、これだけ混沌としている文章の構造を理解することなど、添削指導を目指す教員でもない限り必要ないでしょうが。

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