個人的な体験も必要

小論文も個人的な体験をないがしろにしてはいけない

 作文が「私個人」について書くことだとすれば、小論文は世間のある問題について「一般的な考察」を加えるということです。
 このような説明をすると、「小論文に個人的な体験を書くなどもってのほかだ」というような発想になってしまうかもしれません。しかし、そのような発想に陥(おちい)ってしまうと、現実の物事の姿を見過ごして、「こうあるべきだ」というような建前を振り回した文章を書いてそれでよしと考えてしまう危険性があります。
 たとえば、『ねこの小論文・作文講義』P50では、病院内での携帯電話の使用について考える例を説明しました。「バスや病院の中での携帯電話の使用を許してもよいか」と聞かれれば、ほとんどのよい子の受験生は、「許してはいけない」と答えるでしょう。理屈だけを考えるなら、それ以外の論理展開の可能性はもちろんありません。
 しかし、現実の私たちの生活を振り返ってみるとどうでしょうか。実際に「携帯電話の使用はご遠慮ください」と張り紙のある病院で、携帯電話を使うのを危機意識を持って眺めている人は本当に少ないでしょうし、まして、高校生が論理展開するように、「もしかしたらペースメーカーを使っている人がいるかもしれないから、公共交通機関で携帯電話の使用をやめろ」などと本気で同乗の客に向かって説教したとしたら、逆ギレされるのがおちではないでしょうか。
 このような現実を無視した抽象的な議論に走ってしまう原因は、自分たちの置かれた現実・具体的な状況を無視して、建前だけの抽象的な議論をしてしまうところにあります。小論文で要求されるのは、問題についての「一般的な考察」だといい、「抽象的な考え」だといいます。しかしそのような「一般的な考察」や「抽象的な考え」は、現実を無視していては絶対に手に入りません。というより、現実があるからこそ、それらの現実相互の背後にある共通の要素を取り出したものが、「一般的な考察」や「抽象的な考え」になるのです。
 ですから我々は、抽象的な議論をしようとするとき、常に自分たちが直面している現実と照らし合わせてみて、「それが本当に正しいのか」ということを自問自答するようにしなければなりません。(『ねこP61』)

小論文にも個人的な体験を書けばよい

 このように考えれば、小論文においてもあながち個人的な体験を書くべきではないとはいえないことが分かるでしょう。個人的な体験が、ただ個人的な体験のままで終わらずに、我々の関わっている現実の問題を深く考えさせてくれることなら、むしろそれを書くことによって、私たちの主張はより説得力を増します。具体と抽象の間を往復しながら、誤った抽象に陥らないで、たどり着いた抽象をみんなに本当に納得してもらうために、うまく自分たちの個人的な体験を活用したいものです。

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