現代文学習時に感じる疑問
あなたはこれまで、るんるん余裕で現代文学習に付き合ってきたでしょうか。それとも、いやいや苦虫(にがむし)を噛(か)みつぶしながら、しかたなしに授業の時間を消化してきたでしょうか。
現代文学習、特に現代文のテストを問題にする時、いつも問題になるのは、国語のテストには本当に客観性があるのだろうかということと、もう一つは、日常毎日使っている日本語を題材にしたテストであるのに、何故(なぜ)内容がさっぱり分からないのか。もしくは、内容は分かったはずであるのに何故点が取れないのか。つまり総(そう)じていえば、現代文の学習の仕方などないのではないかということではないでしょうか。
上の、るんるん余裕派といやいや苦虫噛みつぶし派との分類でいうと、多分、るんるん余裕派に属する人たちは、好運にしてこのような疑問を抱(いだ)くことなく、現代文学習の仕方を会得(えとく)した人たちでしょうし、いやいや苦虫噛みつぶし派の人たちは、このような疑問に呪縛(じゅばく)されて、結局、不幸にして現代文という教科について漠然としかその特性を理解することができなかった人たちなのでしょう。
結論からいえば、るんるん余裕派の人たちは既に現代文学習について興味を持っているはずですし、それなりにこの教科に対する自分なりのアプローチの仕方を持っているでしょうから、これまでのやり方でさらに経験を積んでもらえばよいと思います。
けれども、これまでいやいや苦虫噛みつぶし派だった人たちは、このままでは実際どう現代文を征服するか戸惑(とまど)っているでしょうし、それをそのままにしておくのも、現代文を教える立場である私にしても寂しいものがありますから、特にこの人たちをメインターゲットとして、現代文学習の仕方について以下述べいきたいと思います。
けれども、いやいや苦虫噛みつぶし派をメインの対象にとはいうものの、これらの内容は、たぶんるんるん余裕派の人にも充分参考になるはずだと私は考えています。