「確かに~しかし~」

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「確かに~しかし~」理解の困難さ1

 「小論文 確かに」で検索をかけてみると、樋口式への批判はかなり多いのですが、その批判自体が的はずれであることが多いです。

「型の否定」派

 第一は、「確かに~しかし~」の型を使うと、それだけで採点官が「またか!」と思ってうんざりするとか、「確かに」だけでなく、型そのものを嫌う毛嫌い派とか。
 確かに、樋口式で書かれた「確かに」を使った文章をたくさん読まされると、吐き気がしてきます。それは、私も同じです。
 しかし、それは、「確かに」の型を使ったことが悪いのではなくて、「確かに」の本来の使い方を無視した論理構成がメチャメチャな「樋口式」の「確かに」をこれでもかと続けて読まされるからです。
 世の中には、「自説を一方的に主張して、それで論じ足りた」という場合は、ほとんどありません。どんな些細な問題でも、賛否両論があるのが普通です。そのような問題を論じる時に、反対意見の立場の人の考えそうなことを予(あらかじ)め取り上げておいて、「言いたいことは分かるが、それでも、こちらのほうがより良い(大切)でしょう。」とか「それを認めても、それだけでは不十分で、こちらを考えることもやっぱり必要でしょう」とかいうように論理展開していくのが、「確かに~しかし~」の本来の使い方です。
 ですから、ちょっとした問題意識のある文章を書こうとすると、「確かに」とか「しかし」とかいう言葉そのものを使うかどうかは別として、どうしても「確かに~しかし~」のような論理構成の文章が口をついてどこかに出てきてしまうものなのです。
 「確かに」の使用そのものを否定する人は、反対意見の人にも納得してもらおうとする論説文を、「確かに」無しで書いてみるとよいと思います。おそらくそれって、かなり難しいはずです。
 それともう一つは、私がこの段落で使った「確かに~しかし~」に違和感や嫌悪感を感じたでしょうか。もしそれを感じていないのなら、「確かに~しかし~」の型を使うこと自体が問題なのではないことが分かるはずです。 

「確かに~しかし~」は型か

 樋口氏の本では、第二段落で、「確かに~」、第三段落で「しかし~」を展開するというように、「確かに~しかし~」を四段落構成の型として紹介しています。もちろん「確かに~しかし~」は、そのような構成でも使えますが、(しかし、)それだけが「確かに~しかし~」の使い場所ではありません。
 上で書いた様に、「反論に対する評価」をしながら自説を展開する場面では、結構頻繁に文章構成のパーツとして利用される部品にすぎないものであり、文章構成を決定づける型のような大層なものでは本来ありません。

型そのものの否定

 型の使用そのものを否定する人に対する記事は、後ほど、例文を使いながら書いてみることにします。

「反論の評価」の捉え方がおかしい

 樋口式を批判しながら、それが的外れになってしまっている第二は、「確かに~しかし~」は、「予想される反論を少しだけ書いて、次に自説をたくさん続けて書く」だけでは駄目で、「書いた予想される反論に対して、それを認めてもなお自説が優位になる、何らかの評価を付け加えておかなければならない。」というように、「反論の評価が必要」という認識を持っているのに、その評価の仕方が、やっぱりおかしい書き方しかできていない場合です。
 この場合については、記事が長くなるので、先に「確かに~しかし~」の使用法を説明して、その後のページでで解説します。

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