例題1の推敲例

例題1の推敲例

 前項の説明をふまえて、とりあえず元の文章をなるべく変えないように、私が推敲してみました。

例題1 「心の単純化」に陥らないために 推敲例
 いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、どこか奇妙なニュアンスがある。それは彼らがパソコンのキーボードから打ち出す言葉には、見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意が欠けているからである
 パソコンのように匿名でなら、自分の言葉に責任を取る必要はない。だから、このような世界では、他者との距離感や敬意はますます薄れてしまう。
 だが、表現することの恐ろしさも知らず、誰でも対等、誰に何を言っても平気、何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という風潮はとても危険だ。
 過激な言い方をすれば、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しい。他人のことを思いやることもせず、自分の言葉に責任も持たない者の発言など、全く無意味だ。そのことを我々は改めてしっかり認識すべきだろう。
 そうすれば、あえて匿名で発言をするような場合でも、自分の言葉の重さ、言葉の選択の仕方はおのずと変わってくると、私は思う。

 これで名文になったという気はさらさらありませんが、少なくとも何を言いたいのか、元の筆者が言いたかったことがそのまま素直に表現された文章になっていることを感じていただけるなら、この推敲は成功したといえるでしょう。
 最後の終わり方が気になる人がいるかもしれません。しかし、これは元の文章と表現は同じでも、中身は全く違います。そのすぐ前に、「他人のことを思いやることもせず、自分の言葉に責任も持たない者の発言など、全く無意味だ」と書いてあるので、どのような方向に言葉の使い方が変わるのか、きちんと把握できるからです。

生徒の添削例

 生徒に例題を書き直してもらっても、なかなかきちんと筋の通った文章にしてはくれません。「筋を通して、言いたいことにたどり着く文章を書く」というのは、当たり前といえば当たり前だとはいえ、やはりそれをいざ実践するとなると、それほど易しくはないようです。
 このような例文を書き直す課題であれば、何を主張するかについては悩む必要がなくなるものの、今度はその訴える部分をしっかりと理解しなければならなくなるので、自分の身近な話題について筋の通った文章を書く練習をするのとどちらが簡単かは悩ましいとこです。
 とはいえ、中には生徒もしっかりした添削例を作ってくれます。それを3つ紹介してみましょう。

例題1 「心の単純化」に陥らないために 生徒推敲例1
 いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けた言葉がめだつ。自分の名前を出さない人の発言は、その発言に対して責任を取る必要がないので、名前を出している人の発言よりも無責任になりがちだからだ。
 誰でも対等、誰に何を言っても平気、表現することの恐ろしさも知らず、何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という考えがあるため、余計無責任で配慮や敬意に欠けた発言になりやすい。
 過激な言い方だが、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しいと言えるだろう。つまり、無責任で自己満足なだけの発言になってしまうということをよく認識しておくべきだ。そうすれば、あえて発言する時の言葉の重さ、言葉の選択の仕方はおのずと変わってくると、私は思う。

 元の文章にある素材をなるべく活かし、他に勝手な材料をつけ加えずに一つの文章にしようとすれば、生徒のレベルでは、これがほぼ模範解答ではないでしょうか。たどり着く結論に向かって、材料同士の関係をよく考えて、分かりやすく文章を組み立てています。

例題1 「心の単純化」に陥らないために 生徒推敲例2
 いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、どこか奇妙なニュアンスがある。それは、誰でも対等、誰に何を言っても平気、何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という価値観を持っているからである。
 では、なぜ身を隠したまま発言を続ける人は、このような価値観を持つようになったのだろうか。それは、身を隠したままの発言は、その発言に対して責任を取る必要がないので、無責任になりがちだからである。例えば、自分の苦手な人に何かを言う時、面と向かっては言えないことも、誰が何を言っているのか分からない時には言えたりするのと同じ事である。
 つまり、身を隠したままの発言は、信憑性がなく、相手を思いやる気持ちのない無責任な言葉でしかない。このような言葉を使うのではなく、自分を隠さずに発言し、きちんと責任を取る覚悟で、言葉を使っていかなければならないと思う。

 最初の段落の因果関係は、鶏が先か、卵が先かというようなもので、実を言えばちょっと怪しいかも知れません。しかし、それほど注意深く読まなければ、これでも筋はさほど気にならないでしょう。
 この解答で、みんながなかなか真似できないところは、「面と向かって言えないことも〜」という部分で、文章を書いていく上で、この部分が流れをスムースにし、説得力を高めています。
 与えられた材料をただ並べ替えるだけではなく、そのつながりを把握して、自分で考えた例を補足しながら、再構成して文章にした所にこの解答の良さがあります。

例題1 「心の単純化」に陥らないために 生徒推敲例3
 言葉の進化とともに、人は言葉を発する責任を忘れかけているように思う。言葉を発するには責任を伴う。無責任に発した一言が、人を傷つけてしまうことがある。
 私がそう思うのは、パソコンを使い、自分は身を隠したまま発言を続ける人の言葉が乱れ、見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けているからである。パソコンのキーボードから打ち出す無責任な言葉は、便所の落書きに等しい。
 誰でも対等、誰に何を言っても平気、何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という考え方は間違いである。このような考え方をしていると、無責任な言葉遣いによって、言葉は間違った方向に進化してしまう可能性がある。
 だから我々は、言葉を発する責任を改めて認識し直さなければならないと私は思う。言葉を発する責任について、人が正しく認識できたならば、言葉は良い方向に進化していくはずでる。他者との距離感や敬意が薄れていることを人々は正面から受け止め、我が身をさらした発言を続けていくことで言葉の進化を正しい方向に導いていかなければならない。

 この解答は、「言葉の進化」に的を絞って書いた推敲例です。生徒がこのような視点からまとめようとすること自体思いつく人は少ないと思います。それをここまでまとめきったのはさすがです。

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