きちんとした構成に仕上げる2

きちんとした構成の文章にしよう2

 二頁前で作成した構成図を参考にして、例文2を「言いたいことを言うために、その文章を構成する全ての材料が必要な要素となって必要な場所に置かれている文章」になるように推敲していきます。
 前頁では、構成図通りに構成した第1パターン。「(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。」だけを残して、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」を削ってしまう第2パターンの例文を考えたので、この頁では、第3パターンの、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」だけを残して、「(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。」を削ってしまう方向性で例文を作ってみましょう。

【構成図】
(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。
 理由

(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。

   そこから起こること

(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。
(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。

  
(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
   共通点

(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ
       ↓
やめるべき。
【例文1-2】
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。
 (8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。

第3パターン 「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべき」を活かす推敲

 それでは早速例文を作ってみましょうか。

【例文5】  (下線部分は文章の改変箇所)
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。(第一段落)
 (4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(6改)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼であるからだ。(第二段落)
 (9改)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけをされて嫌な気がするのは、「おじいちゃん」や「おばあちゃん」だけではないはずだ。
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。(第三段落)
 (+10)このような高齢者に対する接し方を、今後我々も学ばなければならないのではないか。(第四段落)

 いやあ。自分でも作ってみてびっくりしました。立派な小論文になってしまいました。自分の小論文でこれだけきっちりした筋立ての文章が書ければ、どこの大学だって間違いなく余裕で受かります。

例文5の推敲の問題点

 ちょっと例文5が立派になりすぎたので、例文1もしくは例文2を推敲して例文4や例文5のようにしてしまう問題点が見えにくくなってしまいました。
 しかしその問題点を考えてみましょう。

  • 例文1もしくは例文2を推敲して例文4・例文5のようにしてしまう問題点はどのようなところですか。
    (ヒント)臭いものに蓋・・・臭いものとは

 「臭いものに蓋」の「臭いもの」とは、文章を書こうとして、その材料の矛盾した部分や、論理的なつながりを自分できちんと説明することが難しいところです。言い換えれば、「書きたいのだけれど、何かもやもやとして説明しきれない部分」とでも言いましょうか。
 「臭いものに蓋をする」ということは、そのようなところを全部削ってしまうということです。例文4を作るときに、うまく説明がつかないので「個性の消失」を消してしまいました。
 例文5では、「年寄り扱いするな」という気持ちへの配慮を削除しました。
 このような、「書きたいのだけれど、何かもやもやとして説明しきれない部分」というのは、書くべき(整理すべき)問題の本質だからうまく書けないで悩んでいるところなのです。それを全部矛盾するからといって削除してしまったら、そう、悩む必要もないような誰でもがすぐに思いつくような薄っぺらい感想しか残りませんよね。
 ねこ(私)はよく、「ここが矛盾する」「ここをもっと整理して」「もうちょっと考えを深めて」と生徒に指導することがあります。そういう時生徒は、指摘された部分を片っ端から消して、中身のない骨だけのような薄っぺらい文章に仕上げて持ってくることが結構あるんです。
 せっかく元の文章には深い思索への手がかり、すなわち深い問題意識を書くための素材(原石)のようなものがあったのにです。
 ですから、文章を書くときには、内容をよく整理して不必要なものをどんどん削っていく作業はもちろんとても大切な作業なのですが、それと整理しきれないでもどかしいところを全部削っていくというのとは全く別なことだいうことを、しっかり頭に入れておいてください。
 その「整理しきれない素材」をなんとかして整理して一本筋につなげていくことで、今までの自分が何となく感じてはいたけれども、文章にするほどきちんとは把握できていなかったことを、それが本当は何だったのか改めて実感として気付かされるのですから。
 それが「文章を書く」ということの本質です。(『ねこ』P5,59,75)
 実はこの章の例文1からの添削で、最終的に目指しているところは、このような素材でしかないバラバラの原石を文章にするまでの過程を、実際にあなたに感じ取っていただきたいということなのです。

 例えばこの教科書のこの教材ですが、問題点を指摘したこの文章をねこが編集部に送りつけたからという訳でもないんでしょうが、次の改定では見事にこの章が削除されていました。
 この教科書の中では、この文章が一番文章構成を考える上で、内容もあり、考えさせる発問を作りやすい素材であったにもかかわらずです。これを削除して臭いものに蓋をしてしまったことで、やはりなんとも言えない薄っぺらい教科書になってしまったことは残念です。

例文5を書ける人はさほど心配はいらない

 前にも書いたとおり、例文5は、小論文としてもかなりいい出来です。一般に「臭いものに蓋」をする場合、自分が問題点を整理しきれない部分をあっさり切り捨ててしまうわけですから、問題のより本質的な部分をまとめきれないでバッサリ切り捨ててしまうということがほとんどです。
 この文章で言えば、一番に論じなければならない「見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ」を切り捨ててしまうので、例文4のようななんとも内容の薄っぺらいものになってしまうのです。例文5は、思いつく理由の内、より説明が難しい本質的なところをきちんと自分で把握して、整理しながら文章を書くことができているので、これが書ける人は、臭いものに蓋をしないでも例文3や例文6のように、素材をもっと活かしながら文章を構成することも、遠くない将来必ずできるようになるはずです。

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