作者の意識を大切に

原作者の意識の流れを大切にする

 ここまで例文1の推敲をずっとやってきました。
 ここでは1回横道にそれて、「原作者の意識の流れを大切にする」ということについて考えておきたいと思います。
 ここで説明することは、高校生の皆さんよりもそれを添削する先生方に考えておいてもらいたいことです。高校生の方は、このページの最後の見出しの「やっぱり例文1に戻って、推敲をしてみよう」まで飛んでくだされば結構です。最後の問題だけはやってみてくださいね。

原作者の意識の流れが推敲に生かされているか

 これまで例文1を出発点として、例文2例文3例文4と添削してきました。
 例文4を作るときに、(6)(9)の認識を生かす文章を書くために、「例文2ではわざわざ(6)を前に出したのに、またもとの位置に逆戻り」させたことを覚えていますか。
 例文1の筆者の思考の流れでは、「(6)自分の祖父母でもない人に、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、『おねえちゃん』『おにいちゃん』と呼びかけるのと同じく失礼である。」は、やはり「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」とつながっていたのに、例文2への添削の過程で、(6)の比較の部分を添削者が軽視して添削してしまったためにそういうことが起こったのでした。
 そういう添削をされたとき、原作者はどう思うでしょうか。「確かにまとまってはいる。でも、何となくわたし(僕)の文章でないような」ではないでしょうか。これは例文3でも同じことです。(6)(9)の認識を何か入れたい気がしていたのに、それを全く削られてしまったのですから。
 我々添削する者(国語の教員?)がやりがちなことは、文章のまとめ方と問題意識について、自分がある程度の力を持っているために、生徒が書いてきた素材のまとめやすい部分を、添削者の意識の流れで添削してしまいがちになるということです。
 添削の元になる生徒の文章というのが、何とも文章の体裁をなしていないことが多いのですから、これは致し方のない面もあるのですが、一方で、教員ががんばればがんばるほど生徒の素直な発想をねじ曲げようとしてしまうこともあるということへの教員の自覚不足も否(いな)めません。
 添削に携わる者は、こういう自覚をしっかり持っておきたいものです。
 私の添削する上での理想は、たとえ教員が文章を書き直してしまった場合でも、生徒がその文章をさも自分で書いたかのように思ってしまうような添削をしたいということです。
 文章指導をする以上、生徒の意識レベルの底上げを目指さなければなりません。ですが、元になる生徒の意識のレベルをやはり無視してはいけません。それを一足飛びに超えた文章を作らせてみても、その体験は、生徒が自分で文章を練り上げていく上での経験値にはならないでしょう。

急にそこだけ問題意識のレベルが変わっているような文章

 上のような抽象的な説明だけでは、なかなかきちんと納得してはもらえていないでしょう。やはり抽象的な説明になってしまいますが、もうちょっとだけ説明を続けましょう。
 文章を読んでいて、他では高校生が誰でも普通に感じるぐらいのレベルの感想や例が書いてあるのに、急にそこだけ問題意識のレベルが変わっているような文章があります。かなり砕けた文体で書いてあるのに、そこだけきちんとした文章語のレベルで書いてある場合もあります。
 このような場合、添削をしている本人は、それがよいと思ってまじめに添削をしているわけですからなかなか気づきません。むしろ、他人の方が、はっきりとそうだと説明できないまでも、文章の中で添削者がふっと顔を出している部分になんとなく気づいてしまうものです。
 「がんばっていたら、何となく生徒の文章でなくなってしまう」という自覚症状のある方は、自分で思っている以上に症状は重いはずです。
 この症状を治す手だては、添削をする者が、「生徒の文章の意識の流れを大切にしよう」として、訳の分からない文章の中から一生懸命「隠された生徒の意識の流れ」を探し出そうとするしかありません。がんばって

くださいね。

 

やっぱり例文1に戻って、推敲をしてみよう

 なぜ、この例文の推敲の途中で生徒には関係のないようなこのような話を持ち出したのかというと、これまで推敲の元にしてきたのが、添削者の推敲を経た例文2だったからです。例文2は、高齢者に「おじいちゃん」と呼ぶべきでない理由として、「高齢者が自分を老人だとは意識していない」というようなところにスポットを当てた添削結果でした。しかし、このスポットの当て方は、添削者のものであって、原作者の意識の流れを尊重していないものであるように私は思います。
 ですから、これからのこの例文の添削では、元の例文1に戻って、そこから出発した方がいいのではないかという気がします。
 あなたが高校生なら、上に述べたようなことは読み流してくれればかまいません。ただ、これからの添削の土台として例文2の方が使いやすいとは必ずしもいえないので、例文1でも例文2でも自分がやりやすい方を元に推敲をしてみてくださいね。
 もう一度例文1を載せておきます。

【例文1-2】
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃんと呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。
 (8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。

  • (3)(5)(8)の部分を生かしながら、(6)(9)の認識の部分をメインに据える文章に添削してみましょう。文章は自由に書き換えてかまいませんが、できるだけこの文章にある素材は生かすようにしてください。

 これがこの章の最終課題です。自分でももう一度考えてみましょう。

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