内容を整理しよう

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内容を整理してみよう

【例文1-2】
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。
 (8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。

  1.  この文章全体を通して筆者が一貫して考えているテーマは何でしょうか。
  2.  この文章はどういうことを主張するための文章(文章の主題)にすべきでしょうか。

 問2の答えをあなたはどう答えましたか。「(4)高齢者に対して、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるべきではない。」でしょうか。「(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。」でしょうか。「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」でしょうか。
 (6)はよく考えておかなければならない文です。文末の「失礼である」だけを見ても、主張が「失礼である」で留まっていてはいけませんよね。「失礼だから」何を主張するのか。
 それは(4)か(9)かのどちらかです。ですから(6)は主張にはなり得ません。
 それに、この(6)には、前半部分があります。ただ単に、「『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるのは失礼である。」であるなら、例文2のように(3)(5)と同じ段落にまとめることができますが、「デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、『おねえちゃん』『おにいちゃん』と呼びかけるのと」どこが「同じ」なのかは考えておかなければなりません。
 もとに戻って、(4)か(9)か、どちらがこの文章の主題としてふさわしいかですが、それはこの文章の内容をもう少し整理してから考えていきましょう。とりあえずここでは、そのどちらでも文章を書くことはできるが、そのどちらにもうまく焦点が当たる文章にはなっていないということを確認しておけばよいです。
 ところで、問1と問2は同じようなことを聞いているようでありながら、若干ニュアンスが違います。この文章全体を通してどの文にもあてはまるテーマはと言えば、それは「(4)高齢者に対して、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるべきではない。」しかありません。(9)は、「(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。」などのグループとは、明らかに違う内容を言おうとしているものだからです。

なぜ「高齢者に対して、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるべきではない。」のか

 この理由は2つ考えることができます。
 1つ目は、(3)(5)(8)のグループ、もう一つは、(6)です。
 (6)は、「失礼である」だけなら、(3)(5)(8)のグループにも当てはめることができますが、前半があるので、それと一緒にしてはいけません。
 (3)(5)(8)の中で、より根本的な理由は、どれでしょうか。
 それは、「(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。」しかありません。そういうことがあるので、「(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。」「(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけられたときには、『自分も、そんな年に見えるのか。』とショックを受けるだろう。」ということが起こってきます。
 「高齢者に対して、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるべきではない。」もう1つの理由は、「(6)自分の祖父母でもない人に、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、『おねえちゃん』『おにいちゃん』と呼びかけるのと同じく失礼である。」です。 
 では、「自分の祖父母でもない人に、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼びかける」のと、「デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、『おねえちゃん』『おにいちゃん』と呼びかける」のとどこが共通しているのでしょうか。
 それは、どちらも、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ」であるという点です。だから、こういう呼び方は「失礼」であり、「やめるべき」なのです。
 以上の読み取りを、まとめると、次のようになります。

【構成図】
(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。
 理由

(3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。

   そこから起こること

(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。
(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。

  
(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。
   共通点

(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ
       ↓
やめるべき。 

(7)の例は何を言うためか

 例文1-2にはあるのに、まだ上のまとめには載せていない文はどれでしょうか。
 見てすぐ分かるように、(1)(2)(7)ですよね。この内、(1)(2)は、筆者が体験した話で、文の導入部分として使われているところですから、ここで着目すべきは(7)です。
 この例は何を言うためのものなのでしょうか。「『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼ばず、その人の名前で呼んでいる」のですから、これは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と高齢者扱いするというよりも、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ」をやめた例として捉える方がより適切です。
 つまり、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけ」の弊害に気がついて、それをやめた先駆的な試みの例なのです。

例文2は何がだめなのか

 もう一度例文2を載せておきましょう。

【例文2】
 (1)街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。(2)そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。(第一段落)
 (4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。(6)自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。(第二段落)
 (3)高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。(5)電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。(8)自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(第三段落)
 (7)友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。(第四段落)

  •  この文章の未整理な部分を指摘しましょう。

 上の整理と見比べてみればすぐに分かるように、「(4)高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。」2つの理由が、まぜこぜになっています。
 そして、高齢者扱いの問題点を指摘していたはずなのに、いつの間にか、「(9)相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。」という主張に論点がすり替わっています。

 さて、ここまでの説明は理解できましたか。それではこれまでの整理を元に文章を完成させていきましょう。

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