てれを捨てる

書くことへのてれを捨てる

 先生方が書かせたいと望むような文章を、生徒が書けない心理的な壁が実はもう一つあるのです。
 それは文章を書き慣れない人ほど、教科書のような文体で文章を書くことへの「てれ」があるということです。
 話すために話すための言葉があるように、文章を書くには、文章を書くための言葉や文体があります。ところが、文章を書き慣れない人ほど、そのような文章を書くための言葉を使うと、自分が何となく偉そうぶって書いているように錯覚して、てれを感じてしまうのです。その結果、文章を書くときにも、文章用の言葉を避けてどうしても話し言葉を使うようになってしまいます。
 でも、文章用に使われる言葉は、本当は何もそれを使うと偉く見えるからみんなが使っているわけではありません。伝えるべき内容をなるべく正確に、回りくどくなく伝えようとすれば、話し言葉よりも書き言葉を使う方がはるかに簡単だから、みんながそうしているだけなのです。
 「です・ます」は、「だ・である」なら言い切ってしまう文末に、「です」や「ます」を常にくっつけなければならないのですから、どうしても文章が間延びしやすく、同じ内容なら幼稚くさくなってしまいやすい傾向があります。
 実際「です・ます」と「だ・である」を使いながら、ある程度内容のあることを、同じ内容で書き較べてみてください。そうすれば、「です・ます」で内容をきちんと伝えながら親しみを持たせて、間延びせず、回りくどくならずに書くということことがいかに難しいかすぐに分かるはずです。
 しかも、「です・ます」でしか文章を書いたことがない弊害は、ただ書きにくいということだけにとどまりません。
 「です・ます」で書いた間延びした文章を当たり前だと思っていると、いくら練習しても、自分の文章の間延びした部分にいつまでたっても気づかないのです。
 更に悪いことに、「だ・である」で書くことにてれを感じる人は、論拠を述べて主張をきちんと展開することに「えらそぶっているように感じられはしないか」という自意識を感じている人たちですから、思考を厳密にしようとはせず、話し言葉をそのまま文章にしたようなくだけた文体で書こうとします。
 そのような文章をいくら練習してみても、思考の厳密な整理を要求される教科書のような文章を、書けるようになるはずはありません。文章の論理構成の厳密さへの自覚を養うには、「です・ます」よりも、「だ・である」で練習する方がはるかに近道なのです。

「だ・である」で文章感覚を養う

 文章を書くには、教科書に出てくるような文章用の言葉遣いをするのが一番無駄がなく、しかも最も多くの人に抵抗無く受け入れらます。そしてそのような文体で書くことができれば、話言葉のようなくだけた文体で書くことも、あえてもっと堅苦しく書くことも、それほど難しいことではありません。そういう意味で教科書のような文体は、文章を書く練習をする上で一番に身につけなければならない、基本の文体なのです。
 ですから、文章を書く練習をする前に、まず「教科書のような文体で書くのが当たり前なのだ」ということをもう一度しっかりと確認してください。
 たかが気持ちの問題です。しかしこの「きちんとした書き言葉を使って文章を書くことへのてれ」を捨てるだけで、あなたが大人の文章を書けるようになるのを阻んでいる大きな壁の一つを、あなたは楽々とクリアすることができるのです。(『ねこ』P2参照)

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