思考整理

未整理の思考(例題)
『ねこの小論文・作文講義』「未整理の思考」を見ると、「こんなに整理できていない文章を書く人はよっぽどの人で、自分はそんなにひどくはない」とたいていの人が思っているはずです。しかしそれは程度の問題で、頭の中の整理を十分にしない結果、よく分からない文章を書いてしまうことはプロの作家でも、ましてや大学の教授でも、割合とあることなのです。
この項ではその実例について考えてみましょう。
例題1
「心の単純化」に陥らないために 大石 静
パソコンも、コトバと同じように急速に進化しているが、パソコンを操れるというだけで、操れない人より上に自分を位置づけている人が多い。いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、どこか奇妙なニュアンスがある。見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けた精神が、パソコンのキーボードから打ち出す言葉に、私はいつも抵抗を持つ。
敬語や丁寧語の乱れと消失─これも言葉の進化の重要な一面であろう。他者との距離感や敬意が薄れたことが、敬語や丁寧語の消失を招いた原因であることは明らかだ。
誰でも対等、誰に何を言っても平気、表現することの恐ろしさも知らず何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という風潮も危険だ。過激な言い方だが、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しい。そのことを認識すべきだろう。そうすれば、あえて発言する時の言葉の重さ、言葉の選択の仕方は、おのずと変わってくると、私は思う。
パソコンも、コトバと同じように急速に進化しているが、パソコンを操れるというだけで、操れない人より上に自分を位置づけている人が多い。いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の使っている言葉には、多くの場合、どこか奇妙なニュアンスがある。見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けた精神が、パソコンのキーボードから打ち出す言葉に、私はいつも抵抗を持つ。
敬語や丁寧語の乱れと消失─これも言葉の進化の重要な一面であろう。他者との距離感や敬意が薄れたことが、敬語や丁寧語の消失を招いた原因であることは明らかだ。
誰でも対等、誰に何を言っても平気、表現することの恐ろしさも知らず何か語っていれば、黙っていることより価値がある、という風潮も危険だ。過激な言い方だが、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しい。そのことを認識すべきだろう。そうすれば、あえて発言する時の言葉の重さ、言葉の選択の仕方は、おのずと変わってくると、私は思う。
問
- この文章を読んで、文章の完成度について感想をいいなさい。
- この文章では、一つの段落にはせずに、どうしても段落を二つに分けた方がよい部分があります。分けるとき段落のはじめになる部分の最初の五文字を答えなさい。
- 下線部で、「自分は身を隠したままの発言」と対照的な意味の表現を本文中から抜き出して答えなさい。
- 下線部で、「自分は身を隠したまま発言を続ける人」の価値観を、本文中の言葉を使って答えなさい。
- 下線部で、「自分は身を隠したまま発言を続ける人」が陥ってしまいがちな心理的傾向について、本文中の言葉を使って答えなさい。
- 下線部で、「自分は身を隠したまま発言を続ける人」を生んだ社会的背景の一つだと筆者が考えていると思われることを、本文中から抜き出して答えなさい。
例文は教科書の文章だ
例文は教科書(『新編現代文』大修館書店)の文章なので、さすがに書いている内容については面白いものを含んでいます。ただし、「文章の完成度」という点からすると今一歩というところ。
まずは問題に答えておきましょう。
- 「いろいろな」 文章を書く時、形式段落の一つには一つの内容を書き、別の内容に移る時には、行を変え、一時下げて、段落を変えて書きます。(『ねこ』P19) この文章の形式段落の一つめは、「いろいろな」の前の部分と後の部分とで、言っている内容が全くつながっていません。それを一つの段落にしてしまうのは、「ここに書いていることがつながっていない」という認識が、筆者に全くないからです。
- もちろん「我が身をさらした発言」
- 「誰でも対等、誰に何を言っても平気、表現することの恐ろしさも知らず何か語っていれば、黙っていることより価値がある」から、「誰でも対等、誰に何を言っても平気で、何か語っていれば、黙っていることより価値があるとする価値観。」
- 「見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠けた精神」から、「見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠ける傾向」
- 「他者との距離感や敬意が薄れたこと」
上の設問から筆者の思考を整理すると
上の設問を参考に筆者の思考を整理すると、「自分は身を隠したまま発言を続ける人」は、「誰でも対等、誰に何を言っても平気で、何か語っていれば、黙っていることより価値があるという価値観」を持っていて、自分が表現したことが他人に与える影響など考えもしないので、「表現することの恐ろしさ」などには当然思い至らない。その結果、その発言は「見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意に欠ける傾向」がある。
そのような人を生んだ社会的な背景としては、「他者との距離感や敬意が薄れたこと」が考えられ、それは、「敬語や丁寧語の乱れと消失」を生んだ原因でもある。
現代文の読み方をしてみよう
上の例題を、現代文を読むときのように、文章の最初からできるだけこだわって読んでみてください。そのような読み方をしたとき、前後の因果関係がわかりにくいところが、筆者の思考が整理されないままに文章が書かれてしまったところです。
この文章で、筆者の思考が整理されていないことが一番わかりやすいところは、問2で問題にしたところと、「敬語や丁寧語の乱れと消失」を突然筆者が言い出す形式段落の二段落目とです。
前の所では、「パソコンを操れるというだけで、操れない人より上に自分を位置づけている人が多い」ということと、この文章で以後問題にしている「いろいろなサイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人」との間にどんな関係があるのか、この例題にした部分だけではどう読んでもさっぱり分かりません。もしこの例題のような形で文章を書くのなら、最初から「位置づけている人が多い。」までの部分は、きれいさっぱり書くのを諦めるべきです。(このことについては、問題文を作る時「どこからどこまでを引用するか」という問題があるので、後からもう一度、取り上げます。)
後の部分については、よくよく関係を考えれば、問6で取り上げたような関係で、他の部分とつながっているのだろうという推測はつきます。ただし、それは、筆者が書いたことを書いたように理解したのでは、文章を最後まで丁寧に読んでも分かりません。
このような文章になってしまう原因は、筆者がこのようなつながっていない部分を書こうとするとき、自分ではそれ以外のところと、その部分と、頭の中で考えているときにはつながっている気になっているのだけれど、その関係を自分自身がはっきりと整理しないまま、文章にしてしまったからです。
私がいつも言うように、頭の中というのは、かなり論理的に理屈を整理したつもりになっていても、このようにかなり未整理のままの状態です。それを、「うまいことつながりを説明できないな。」とか、実は、「問6で考えたような因果関係があるのだな。」とかいうように、さらに整理する努力をしないまま文章を書いてしまから、この文章のような、「何かつながりはあるのだろうけれど、どこでつながっているのか分からない」というような文章になるのです。
この文章は、そのような事情をきわめてわかりやすく我々に見せてくれます。文章を書くとは、「頭の中の未整理な状況を、文章に書ける程度にまで整理していく」ということです(『ねこ』p5)。自分自身がこのような文章を書いてしまわないように、この例を自分の文章を振り返る参考にしてください。
筆者が整理するのと、読者が読んでくれるのとは別のこと
あなたは問5に答えることができたでしょうか。問いに答えることができた、さらに進んで、この問いを与えられなくても、この問いが聞いている因果関係について自分で気づくことができたとすれば、それは、筆者が整理し切れていない内容についてまで、読者が気づいたということです。
優れた読者は、少々筆者が思考を整理せずに書いたような文章でも、このようにその因果関係を整理して読んでくれます。しかしだからといって、それは筆者が整理して書いたのとは別のことです。このような場合、極端にいえば、文章自体は未完成で、むしろ読者の方が優れた読解によって、「文章を完成させる手助けをしている」ということもできるのです。
もちろんこの文章を読んでくださっているあなたは、読者の読解力に依存するようなこのような文章を書いてはいけません。読者が多少不注意でも、誤解される余地のない紛れる余地のない文章を目指さなければならないのは、いうまでもないことです。