「が」にご注意

「が」にご注意

 〈「が」に注意する〉(『ねこ』P38)で、「が」を無意識に使うことの危険性を指摘しました。この説明だけではなかなか具体的なイメージがわかないでしょうから、実際の例文の中で、「『が』を使うことによって、筆者自身が自分の論理のつながりの甘さに無自覚になってしまう」ということについて考えておきましょう。
 例文は先項で取り上げた例文の少し前の部分です。

例題2 「心の単純化」に陥らないために(2) 大石 静
 問題は、こういうコトバ(「超MM」のような若者言葉)を使う子たちが、こういうコトバを知らない人たちをバカにすることだ。
橋本治氏が「若者言葉は方言の一種である」と書いておられるのを読んで、なるほどと思った。?方言?はよそ者を見分けるために生まれたという説もある(1)、若者言葉も、その見分けのひとつとして存在している面がある。
 更に、これは日本だけの風潮らしい(2)、世の中が若さというものを、やたらとありがたがるので、若者は当然のごとく勘違いしてつけ上がる。若者言葉を解さないというだけで、積み重ねて来た経験の尊さを、笑い飛ばして平気な感覚を育ててしまう。
 一過性の若さは、誰でも手に入れることができ、いつか手放さなければならないという、あまりにも簡単な構図さえ、すべての人が見失いがちな昨今だ。(括弧内Nekoの加えた注)

  1.  下線部(1)で、「が」の前後の部分の関係を説明し、筆者の発想の流れが分かるように文章を書き換えなさい。
  2.  下線部(2)で、「日本だけの風潮」であることを、筆者がここで付け加えようとした理由を説明しなさい。

「が」の前後がどういう意味でつながっているのかを見る

 教科書末尾の「学習のポイント」には、

接続助詞の『が』には、「顔は怖い心は優しい」のような逆接の場合と、「森にはいろんな動物がいました、猿もいました」のような順接の場合がある。次の「が」はどちらか確かめてみよう。

というような問題がついています。しかし後者のように曖昧な関係で接続していく使い方が「が」には多いので、それらをすべて「逆接」ではないからという理由で、この例文の(1)(2)のようなものを「順接」と答えてみても、そこから何か理解が深まるとはとても思えません。
 それでは(1)から、「が」の前後がどういう意味でつながっているのかを実際に見ていきましょう。
 この例では、「が」の前後で、何らかのつながりはあるように感じられるものの、「?方言?はよそ者を見分けるために生まれたという説もある」ということと、「若者言葉も、その見分けのひとつとして存在している面がある」ということと、「が」でつないで書いておけば説明しないでも、明らかに分かってもらえるというわけにはいきません。
 ここでの筆者の発想は、「?方言?はよそ者を見分けるために生まれたという説もある」。方言をそういうものとして理解するなら、「若者言葉も、その見分けのひとつとして存在している面がある」のだから、「若者言葉は方言の一種である」と考えるのも納得がいく、というような流れになっているはずです。
 それだけの思考を経なければ明確に因果関係を説明することはできないのに、筆者がそこまで整理することなく、頭の中の混沌を混沌のままの形で表現してしまったのが(1)の「が」なのです。
 これだけの思考をもし表現をなるべくいじらないようにして整理して表現するなら、

“方言?はよそ者を見分けるために生まれたという説もある通り、若者言葉も、その見分けのひとつとして存在している面が確かにある。

というようなところでしょうか。
 表現自体は、下線部が2カ所ちょっと変わっているだけですが、「思考の整理」という観点から見ると、例文とこの書き直した文章とでは格段の差があることに注目してください。

(2)の「が」はつながり自体は簡単そうだが

 (2)の「が」はつながり自体は簡単そうですが、これもやはり、思考の流れを把握した結果、この「が」を使うのがいいだろうというような判断をした上で使われているわけではないようです。
 (2)の「が」で、「日本だけの風潮」であることを、筆者がここで付け加えようとしたのはなぜでしょうか。
 「世の中が若さというものを、やたらとありがたがる」という「日本だけの風潮」があるため、日本では「若者は当然のごとく勘違いしてつけ上がる」という他の国では見られないマイナス面が出てくる。
 つまり、「他の国と比較して、日本だけが特別で、それが悪いところである。」ということを強調するために、「日本だけの風潮」であることを、筆者はここで付け加えているのです。
 そのような意識があるために、「これは日本だけの風潮らしいが」といってはみたものの、その意識がきちんと整理され自覚された結果書かれたものではなかったために、その後のところで、「日本だけのだめな特徴」として強調するまでには至っていないのです。
 これを

更に、世の中が若さというものをやたらとありがたがるという日本だけの風潮があるので、若者は当然のごとく勘違いしてつけ上がる。その結果日本では、若者言葉を解さないというだけで、積み重ねて来た経験の尊さを、笑い飛ばして平気な感覚を育ててしまう(のである)

とすれば、そこら辺の意識は原文よりかなりすっきりするはずです。

「こうすればいい文章になる」などと言おうとすると

 「こうすればいい文章になる」などと言おうとすると、そこで俎上(そじょう−まな板の上)に乗せられている文章と、それを批評している人の文章とを比較して、「自分は人とは違う、いい文章を書いているつもりなのだろうな」というような批判を受ける恐れを抱かないわけにはいきません。
 実際自分自身、「が」を警戒するような文章を書いておきながら、どうも最近無自覚の「が」をずいぶんとホームページなどでも使っているような気がして、自戒しなければいけないなと感じているところです。
 なお、上で見た例は、あくまで「そういう思考法をするとこういう表現になる」ということを、説明しやすそうだということで取り上げた、一つの典型的な例にすぎません。ですから、「この文章が他と較べて特に悪文である」などと言おうとしているものではありません。
 「このような発想の元で、このような思考になると、このような表現になってしまう」という説明の意図をしっかりと把握していただいて、自分の文章や、他人の文章を見る時の参考に活用してくだされば幸いです。

タイトルとURLをコピーしました