「起承転結」は練習不要

「起承転結」は練習するな
起承転結の文章構成法は、文章を書く練習をする最初の段階でまねるべき型ではない。
起承転結を説明する時によく引き合いに出されるのが、
本町(ほんちょう)二丁目の糸屋の娘 (起)
姉は十七、妹は十五 (承)
諸国大名は弓矢で殺す (転)
糸屋の娘は目で殺す (結)
姉は十七、妹は十五 (承)
諸国大名は弓矢で殺す (転)
糸屋の娘は目で殺す (結)
という俗謡(ぞくよう)である。
この例を見れば分かるように、起承転結のポイントは、「起承」の部分と「転」の部分との関連のなさであり、その一見関連のないものを、「結」の部分でいかにうまく関連づけるかということである。
したがってこの構成法は、発想の面からは、論理を一つずつ組み立てていくのとは別種のはるかに難しい作業をしなければならないということであり、論理の面からは、発想の飛躍が主眼となるので論文向きではないということである。
いずれにしても、君たちが文章を書く練習をする最初の段階では、まねるべき型ではないということだ。ただし、君たちが将来随想のようなものを依頼された時には、よい思いつきが浮かべばこれを試してみる価値はあるだろう。
※作者の立場からものを見るということ
他人の文章を読む場合、たとえば、「起承転結」を作者がどういう意図で、どういうところに気をつけて使うのかということを知っていると、それを知らない時には見えなかったものが見えてくる場合がある。
新聞の四コマ漫画を見て、ただなんとなくおもしろいと思うのではなくて、「この三コマ目の発想の飛躍をこう作って、四コマ目でこういう落ちをつけて読者をおもしろがらせている。」といった見方で、その漫画の魅力の細かいところまでが見えてくるような場合だ。
ものを見る場合、このように「読者の目」からではなく、「作者の目」から分析してみるということも、そのものの味わいの細かい点をつかむ上では必要なことだ。