教科書作者の推敲不足

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教科書作者の推敲不足

 教科書所収の文章の作者、森本哲郎『経験の教えについて』(第一学習社)の、推敲不足の例について見ておきましょう。
 「推敲不足」とまで評価するのは少々酷かもしれませんが、表現が舌足らずなために、結局筆者が言わんとしているところがとても分かりにくくなっている例です。

 この文章で、筆者の説明のどこが舌足らずなのか、考えてみてください。

森本哲郎『経験の教えについて』(第一学習社)

「イイタイコト」に対する認識違い

 この文章を一見して、表現のおかしな点に気が付くのは、P260の4行目、「経験とは、何も自分の経験だけに限らない。」という所です。
 こういう言い方で始まれば、当然、「『他人の経験に学ぶ』ことが必要だ」という文章の流れにならなければならないはずです。ところが、筆者自身、このように始めておきながら、自分がここで説明しているのは、「経験に学ぶ」ことだと錯誤しているために、ここから後の所で出てくるのは、「他人の経験に学ぶ」ではなく、「経験に学ぶ」ばかりです。

 後のP264の4行目の所で、やっと、「他人の経験に学ぶ」に話が戻ってきますが、ここまで「経験に学ぶ」で話を進めてきたがために、

 むろん、この場合の「経験」とは、自分自身のそれではなく、他人の、つまり、 ロバの気の毒な身の破滅であるが、経験を生かす、とは、何も自分の経験だけに限らない、他人の経験からも十分に学ぶことができる、とイソップは教えている のである。

と、かなり苦しい論理展開をしなければならなくなっています。
 もし、P260の4行目の所で、早々に「経験を生かす、とは、何も自分の経験だけに限らない、他人の経験からも十分に学ぶことができる、とイソップは教えている のである。」という話の流れにしておけば、途中でイソップという人物の経歴に寄り道したとしても、ずいぶんと分かりやすい話になったことは間違いありません。
 何も定石通り、上のようにきちんと書かなくても、P260の5行目の、「それ」を、「その他人の経験に学ぶことを」と押さえておけば、それだけで、文の流れは全く変わります。
 「前車の覆るは後車の戒め」「人のふり見て我がふり直せ」を、「経験を生かす」ではなく、「他人の経験を生かす」例として、きちんと押さえることが出来るからです。
 このことを例からさかのぼって逆から考えてみれば、これらの例自体、「他人の経験を生かす」の例なのです。そういう例を持ってきておきながら、筆者の意識に上っているのが、「経験を生かす」ということであったがために、表現を意識が裏切っていたわけです。

教科書でさえ推敲不足の例は結構ある

 このように、作者が書こうとして、整理しきれずに中途半端な表現をしてしまった例や、思考の混乱がそのまま文章になっているような例は、模範的な文章を掲載しようと努力しているはずの国語教科書でさえ、結構見受けられます。
 それは、文章を書いた筆者本人が思考不足に気づいていないだけではなくて、教科書編集をする偉い大学の先生たちでさえ、そこに気が付いていないからです。
 ですから、まして高校生や、国語の一教師ふぜいが、推敲不足の文章を書いてしまうことなどは当たり前です。文章を書けないのは、「自分に文章を書く才能が無いからだ。苦手だ」などと、文章を書く練習をろくにしもしないで考えるのは、思い上がりというものです。
 逆に言えば、それほどの大先生たちでさえもよくわかってはいないことを、練習しさえすれば、高校生諸君が成し遂げてしまうこともできるのですから、「自分が思っていたことをきちんと書き上げることが出来た爽快感」を糧にして、努力して(させて)みてはいかがでしょうか。

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