教科書もでたらめ2

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教科書もでたらめ2

 前頁で考えた、『反論を想定して書く』(教科書PDFへリンク)にはこの演習の模範例文が載っていないので、教科書傍用問題集の小論文例を見てみることにします。この文章にあなたは何点を付けますか。採点基準は、私のいつも通りのものを使います。


<教科書傍用問題集の小論文例>(リンクで縦書きPDF表示)

 文化祭のクラスの出し物は、迷路と演劇のどちらがよいか。私は演劇がよいと考える。
 演劇は、出演者だけでなく、演出、脚本家照明係、大道具係、小道具係など、さまざまな役割があるので、クラス全員が自分に合った仕事をし、充実感を味わうことができる。また、演劇は、脚本、演技、音楽、照明、舞台装置などさまざまな要素が組み合わさった総合芸術であり、文化の祭典にふさわしい。
 確かに、迷路も、奇抜なトリックを考えるなどの工夫をすれば、観客を楽しませる魅力ある出し物になりうるだろう。また、準備期間も短くて済み、当日もそれほど忙しくないので、取り組みは楽である。それに対して演劇は、かなり早くから脚本作り、稽古、道具作りに追われ、当日も、失敗しないかという緊張感に悩まされるだろう。
 しかし、そういう困難があるからこそ、それを乗り越えて成し遂げたときの喜びが大きいのだ。最初は、やる気を見せない人もいるだろう。言い争いなども起こるだろう。不安に押しつぶされそうになることもあるだろうそのような苦しみを味わって、それでも皆でそれを乗り越え、本番で力を出し切ることができたら、クラスが本当に一つにまとまり、大きな喜びを得ることができるのだ。
 ゆえに、困難が多くても、というよりむしろ困難が多いからこそ、クラスが一つにまとまり、高校生活の良い思い出となる「演劇」がよいと私は考えるのである。 

「反論の評価」の仕方がおかしい

 私の採点は、やはり65点です。主張を展開するために役立つ様々な論点はありますが、それを生かして自分の主張を展開する流れが全く作れていません。総じて言えば、「確かに~しかし~」を使った論の展開の仕方がめちゃくちゃです。
 一番目立つところから言えば、「確かに~」で、

  1. 迷路も、奇抜なトリックを考えるなどの工夫をすれば、観客を楽しませる魅力ある出し物になりうる
  2. 準備期間も短くて済み
  3. 当日もそれほど忙しくないので、取り組みは楽である。
    演劇は、当日も、失敗しないかという緊張感に悩まされる

    という3点の反論を認めたわけですから、そのそれぞれに反論を加えながら自論を展開していかなければなりません。
     ところが、この文章では、「しかし」以下、これらに対する反論は一切ありません。そして、「困難が多いからこそ演劇が良い」という主張に持っていこうとします。
     しかし、これでは、完成度の高い作品をなるべく楽に作ろうとする工夫を全く認めないことになってしまいます。「高い完成度のものを、なるべく時間をかけずに、楽に作業できる工夫をする」のが世の中では一番尊重されるはずです。それなのに、「同じことをするなら、困難な方が、苦労を克服した時の喜びが大きい。」というような変な話になってしまいます。
     ですから、ここでの「困難が大きいからこそ~」の部分は、筆者が認めてしまった反論への評価には全くなってはいません。

    「同じ完成度になるなら、短時間で、楽に」に対して反論する

     相手の反論が、「同じ完成度になるなら、短時間で、楽に」であるなら、その考え方に対して、反論を考えなければなりません。

    1. 「観客を楽しませる魅力ある出し物」として、演劇と迷路とは違う(同じ完成度ではない)、という主張
    2. 迷路は、「準備期間も短くて済み楽」というのは本当か?
    3. 「演劇は、当日も、失敗しないかという緊張感に悩まされる」は反撃の仕様がないので、緊張感を味わっても、その苦労を補うだけの価値は十分にある

      という様に、予想される反論に対して、持論を主張していくようにしないといけません。
       以下、私の添削を書いていきますが、そのような反論をどうやって展開していったらよいかを、もう一度ご自分でしっかり考えてみてください。

      ①「観客を楽しませる魅力ある出し物」として、演劇と迷路とは本当に同じか?

       この問題を考えるヒントは、「確かに」よりも前の部分に書いてあります。「演劇は、~総合芸術であり、文化の祭典にふさわしい。」という部分です。実際高校生は、演劇などより、迷路やお化け屋敷などをやりたがる傾向があります、それは、演劇などよりも一般に、迷路やお化け屋敷の方が、刹那的に楽しいからです。頭や感性を使って人を感動させる演劇と、その場が楽しければそれで良いというお化け屋敷や迷路などと、全く文化的な完成度が同じとは言いにくいのではないでしょうか。もし大人を唸らせるような同じような完成度を目指すなら、迷路でもやはり大変な工夫が必要なはずです。

      ②演劇と迷路と、どちらが大変か?

       「迷路の方が簡単」という主張は本当でしょうか。ちょっと考えても、迷路は巨大な構築物を作らなければならないはずですから、やり方にもよりますが、むしろ作業量は演劇よりも大変になると考えてもよいのではないでしょうか。
       なのに、なぜ「迷路の方が楽だ」と考えてしまうのか。それは、自分の頭を使って考える工夫をあまりしなくてもいいからです。お化け屋敷にしても、迷路にしても、「こんなものだ」という既成概念がありますから、あまり工夫をすること無く、その既成概念に沿ったものを作る作業をしていきさえすれば、頭を使わずに完成してしまう。だから、簡単だと思ってしまうのです。「工夫をして、観客を楽しませる魅力ある出し物」にするための努力を本当にしようとすれば、そんなに簡単にできるものではないでしょう。

      ④「困難が喜びを生む」はプラスα

       以上の論点を踏まえて、「演劇をする価値と努力の必要性」をきちんと読者に理解させておけば、「困難が喜びを生む」はプラスαとして、更に演劇支持説を補強するための要素として使えます。 

      小論文例は、実は前からのつながりもおかしい

       先の小論文例は、「確かに」の前からのつながりも実はおかしいのです。
       「確かに」の前には、「確かに」以下で書かれた反論を生むような、筆者の主張がなければなりません。ところが、この文章で「確かに」以下で書かれた反論は、直前の筆者の主張に対してではなくて、遥かに前の、「私は演劇がよいと考える。」に対してです。なんでここに「確かに」以下の反論が唐突に出てこなければならないのか、論理展開を大切にして文章を読もうとする人間には、理解不能です。

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       それで、解説の大元になっている教科書の方をもう一度見返してみると、「なか」の部分が三部構成になっていて、

      1. 自分の意見の理由を書く。複数書くとよい。
      2. 反対意見について書く。
      3. 自分の意見の理由のうち、最も説得力のあるものを書く。

        となっています。
         これ、1と3、どちらにも自分の意見を書くはずですが、どういう書き分けをするのでしょうか。そして何故、1と3との間に「確かに~」の段落を挟まなければならないのでしょうか。自分の意見は、意見として、まとめて書く方が、論の流れとしては自然なはずです。
         それと、後ろの方の3に「最も説得力のあるものを書く」などというのは、文章構成をする上で全くナンセンスです。
         文章は、最も大事なものほど先に書かなければなりません。出し惜しみをして、後から後から大切なことを述べていくような文章など読まされた日には、誰でもうんざりしてしまいます。
         しかも、「しかし~」以降の段落は、「確かに~」で認めた反論への論駁のための段落です。論理の上から言っても、「最も説得力のあるものを書く」段落ではありません。
         このような構成法を、この教科書編纂者は5段落総双括法と呼んで推奨しているようです。こんなろくでもない型を信じ込んでしまうと、文章を確かに見る目が曇ってしまいますから、気をつけましょう。

        添削例(リンクで縦書きPDF表示)

         文化祭のクラスの出し物は、迷路と演劇のどちらがよいか。私は演劇がよいと考える。
         演劇よりも迷路の方に魅力を感じる人は確かに多い。
         しかし、迷路は楽しいかもしれないが、その楽しみは享楽的である。それに対し、演劇は、脚本、演技、音楽、照明、舞台装置などさまざまな要素が組み合わさった総合芸術であり、文化の祭典にふさわしい。それに、演劇は、出演者以外にもさまざまな役割があるので、クラス全員が自分に合った仕事をし、充実感を味わうことができる。
         また、迷路の方が演劇よりも簡単に取り組めると思う人がいるかも知れない。しかしそれも、安易な既成観念通りのものを作るのではなく、奇抜なトリックを考えるなどの工夫をして、観客を楽しませる文化的な魅力のある出し物にしようと工夫するなら、一概に迷路のほうが簡単だなどとも言い切れない
         演劇作りは正に文化的な創造であるため、確かに困難は多いに違いない。しかし、そういう困難があるからこそ、それを乗り越えて成し遂げた時の喜びは大きい。最初は、言い争いが起こったり、不安に押しつぶされたりするかもしれないが、そんな苦しみを味わっても、皆で乗り越え、本番で力を出し切ることで、クラスが本当に一つにまとまり、大きな喜びを得ることができるのだ。
         だから、高校生活の良い思い出となる「演劇」がよいと私は考える。

         ここまでまとめて書ききってあれば、私なら迷わず80点以上は付けます。元の文章は、素材はあっても、それをきちんと自分の思考に活かせてはいないので、それでは、まともな文章の完成品であるとは言えません。
         元の文章が600字で書かれていたので、添削例も600字にこだわって収めました。その関係で、表現を短くしてしまった所がいくらかあります。しかし、もう少し字数に余裕を認めるなら、場所移動をするだけにして、元の表現を生かして、もっと書き換え箇所を少なくしても、この内容を書けると思います。

        生徒に見せる典型的なパターンではなくなった

         「確かに~しかし~」が二回出てくるのを目立たなくさせたり、「かもしれない」という表現が多く出てくるのを他の表現に変えてぎこちなさをなくしたりしたので、生徒用に見せる典型的な表現パターンの文章ではなくなったかもしれません。
         予想される反論が多く、そのどれもがかなり強力なので、それを引っくり返して自分の主張を展開していくのは見ての通りかなり大変です。

        相手の主張を丸の飲みでストレートに認めてしまわない

         小論文例の様に、相手の主張を丸の飲みで、あんなにストレートにたくさん認めてしまうと、それをひっくり返して自分の主張に持っていくことは、まず不可能です。「反論を想定して書く」には、受け入れることができる相手の主張を部分的に認めながら、そこを足がかりにして相手に反撃していくような発想をしないといけません。 

        賛成・反対どちらでも同じ程度の論の深まりが期待できる題材を選ぶ

         教師が作文課題を選ぶ時の目安として、「賛成・反対どちらでも同じ程度の論の深まりを期待できる題材を選ぶ」という視点を持っておく方が良いです。例えば、「学校に制服は必要か」「成人式は必要か」「高校生にボランティアを強制するべきか」というような課題なら、賛成・反対どちらの立場を選んでも、同程度の論の深まりを期待できます。
         ここで取り上げた小論文課題の場合は、「迷路の方が良い」という立場を取ろうとすると、恐らく、「短時間で、楽で、自分たちが楽しいから」という以上に論が深まることはありません。このような課題は、賛否どちらを選ぶかで、作文の出来(最高点)が決まってしまいますから、生徒に思考訓練をさせるには、あまり適切とは言えません。
         極端なことを言えば、同じ課題で、賛否両方の文章を、同程度の完成度を目指して書かせる訓練をするのも、思考訓練としては面白いと思います。

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