教科書もでたらめ3

スポンサーリンク

教科書もでたらめ3

 3頁前で考えた、『反論を想定して書く』(教科書PDFへリンク)の教科書編者による模範例文を指導資料で見つけたので、この小論文例を見てみることにします。

クリックすると拡大画像を表示します


<指導資料の小論文例>(リンクで縦書きPDF表示)

 映画の鑑賞は、DVDを使った家庭用テレビでの鑑賞がよいか、映画館での鑑賞がよいか、という問題について、私は、映画館での鑑賞がよいと考える。
 なぜなら、映画館では、大画面や迫力ある音声で映画を楽しむことができるからだ。また、家庭のテレビと違って、日常生活とは異なる特殊な空間で、特別な雰囲気にひたりながら映画を鑑賞することができるからだ。
 確かにDVDによる鑑賞は、安価であるというよさがある。家族みんなで見れば一人あたりの費用は安くなり、何度も繰り返して見れば一回あたりの費用も安くなる。また、DVDによる鑑賞は、好きな時に、何度でも繰リ返して見ることができるというよさがある。見落としたところ、意味のわからなかったところを再度見て確認することが容易だ。それに比べて映画館での鑑賞は、高いお金を払って一度しか見られないので損だ、と考える人がいるのも理解できる。
 しかし、一度しか見られない、ということこそが映画館での鑑賞のよさであると私は考える。何度でも見られるという思いがあれば、どうしても見方が雑になってしまう。これを見るのはこの一度きりだという意識を強くもち、集中して映画の世界に入リ込むことにより、真にその映画のすばらしさを味わうことができるのだ。
 以上のことから、映画の鑑賞は、映画館での鑑賞がよいと、私は考えるのである。 

「確かに~」で認めたことに対する論駁が不十分

 「確かに~」で、

  1. DVDによる鑑賞は、安価である
  2. DVDによる鑑賞は、好きな時に、何度でも繰リ返して見ることができる

    という2点の反論を認めたわけですから、そのそれぞれに論駁を加えながら自論を展開していかなければなりません。
     ところが、この文章では、「しかし」以下、「2.何度でも繰リ返して見ることができる」に対する論駁はあっても、「1.安価」に対する論駁はありません。この様に反論を認めながら、それを全く無視してしまうくらいなら、「確かに~」で反論を認めてしまわないほうが遥かにましです。
     筆者のここでの論じ方からすれば、この欠陥は、「高価で1度しか見られないからこそ、映画がよい」と言いかえれば、一応は解決します。
     しかし、これは議論としては成立しますが、極めて逆説的で、「良いものは安価に何度でも見たい」という一般の人間感情とは真逆の、賢(さか)しらな理屈になっています。

    小論文例は、実は前からのつながりもおかしい

     先の小論文例は、「確かに」の前からのつながりも実はおかしいのです。
     「確かに」の前には、「確かに」以下で書かれた反論を生むような、筆者の主張がなければなりません。ところが、この文章で「確かに」以下で書かれた反論は、直前の筆者の主張に対してではなくて、遥かに前の、「私は、映画館での鑑賞がよいと考える。」に対してです。
     この文章の場合、「確かに~」の前の主張が、よく言われるあまりインパクトの無い内容なので、読み飛ばしてしまえるため、さほどこの構成での違和感を強く感じるわけではありません。でも、なんでここに「確かに」以下の反論が唐突に出てこなければならないのか、論理展開を大切にして文章を読もうとすれば、やはりおかしな構成ではあります。

    クリックすると拡大画像を表示します

     解説の大元になっている教科書の方をもう一度見返してみると、「なか」の部分が三部構成になっていて、

    1. 自分の意見の理由を書く。複数書くとよい。
    2. 反対意見について書く。
    3. 自分の意見の理由のうち、最も説得力のあるものを書く。

      となっています。
       これはこの教科書編纂者が良いと信じ込んで推奨している「5段落双括法」です(問題点の詳しい考察はリンク先で)。こんなろくでもない型を信じ込んでしまうと、文章を確かに見る目が曇ってしまいますから、気をつけないといけません。

      添削例(リンクで縦書きPDF表示)

       映画の鑑賞は、DVDを使った家庭用テレビでの鑑賞がよいか、映画館での鑑賞がよいか、という問題について、私は、映画館での鑑賞がよいと考える。
       確かにDVDによる鑑賞は、安価であるというよさがある。家族みんなで見れば一人あたりの費用は安くなり、何度も繰り返して見れば一回あたりの費用も安くなる。また、DVDによる鑑賞は、好きな時に、何度でも繰リ返して見ることができるというよさもある。見落としたところ、意味のわからなかったところを再度見て確認することが容易だ。それに比べて映画館での鑑賞は、高いお金を払って一度しか見られないので損だ、と考える人がいるのも理解できる。
       しかし、映画館なら、大画面や迫力ある音声で映画を楽しむことができる。また、家庭のテレビと違って、日常生活とは異なる特殊な空間で、特別な雰囲気にひたりながら映画を鑑賞することができる。それを考えれば、DVDより高価なのも納得できる。
       それに、何度も簡単には見られないこともあながち欠点ではないと私は考える。何度でも見られるという思いがあれば、どうしても見方が雑になってしまう。何回も簡単には見られないという意識を強くもち、集中して映画の世界に入リ込むことで、その映画のすばらしさをより深く味わうことができるのだ。
       以上のことから、映画の鑑賞は、映画館での鑑賞がよいと、私は考えるのである。

      反論を数多く認めておけばいいわけではない

       この教科書の編纂者は、どうも、「予想される反論を数多く挙げておけばおくほどよい」と考えている節が見受けられます。この小論文例だけではなくて、他の「確かに~しかし~」を使った例文でも、やたらと予想される反論の項目が多いです。この小論文例では、全体で600字しか無いのに、実にこれに220字も費やしています。
       その上、ここで取り上げた項目に対しての反論が、無いか、極めて脆弱です。これでは、自説の説得力を増すどころか、どんどん説得力を削いでしまいます。
       樋口裕一氏ではありませんが、予想される反論に対して譲歩するフレーズは程々にして、自説をしっかり主張するようにしないと、「確かに~」を踏まえた説得力のある文章を作るのはとても大変になります。
       この教科書の編纂者が、やたらと反論を認めようとするものだから、それを活かしながら、しかも論理的に筋道が立っている添削例を書くのはとても大変です。その四苦八苦ぶりをこのHPから感じ取っていただけるなら、苦労した甲斐があるというものです。

      問題自体がナンセンス

       この問題、おかしな問いだとは思いませんか。或る場面に限定して「この場合どちらが良いか」とか、「あなたはどちらを重視するか」という問いなら答え様があります。でも、DVDか映画館かを二者択一しなければならない理由などどこにあるのでしょうか。
       誰でも普通は安価で手軽なDVDやテレビで映画を鑑賞し、特別大切に鑑賞したい場合には映画館にわざわざ足を運びます。そのあたりのどこに重きを置くかの違いによって、どちらを選択するかを決めながら人は行動しているのですから、より適切な選択肢を場合によって選べる問題に対して、この様にあれかこれかの二者択一を強いる問題は、全くナンセンスだと言わざるを得ません。
       「テレビやDVDなどとんでもない。映画は映画館でしか見ない」というような人がもし実際に居るのなら、是非会ってみたいところです。この小論文例を書いた当の本人でさえ、そんなことは思ってもいないでしょう。
       「よくこんなとんでもない問題を思いつくな」というのが、最初にこの問題を見たときからの印象です。

      タイトルとURLをコピーしました