「確かに~しかし~」理解3

スポンサーリンク

「確かに~しかし~」理解の困難さ3

 「確かに~しかし~」は、「予想される反論を少しだけ書いて、次に自説をたくさん続けて書く」だけでは駄目で、「書いた予想される反論に対して、それを認めてもなお自説が優位になるように、何らかの評価を付け加えておかなければならないという風に、「反論の評価が必要」だという認識は持っているのに、前頁で紹介したように、その評価の仕方が、やっぱりおかしい書き方しかできていない場合があります。
 ここでは、そのような例をもう一つ見ておくことにします。

「反論の評価」の捉え方がおかしい2

<例文2>

 高校に制服は不要だろうか。
 確かに制服を強制されると個性は発揮できない。
 しかし、個性は服装によってしか発揮できないものではないはずだ。むしろ個性とは学校での勉強や部活動の中で自然に発揮されるものだ。
  (……以下制服の利点……)
 だから、制服は高校にとって必要だと私は思う。

 この文章を見ると、「しかし、個性は服装によってしか発揮できないものではないはずだ。」で、制服による個性の発揮を牽制しようとしていることが分かります。
 でも、「個性は別でも発揮できる」と指摘しても、このような書き方では、「制服による個性発揮」を否定したことにはなりません。「勉強や部活動の中で個性を磨くのは分かるが、私は服装でも個性を発揮したい!」と言われてしまえば、それ以上の反論ができないからです。
 そう言われないためには、「制服による個性の発揮は、高校では必要ない」という方向で話を進めないといけません。

<例文2改>

 高校に制服は不要だろうか。
 確かに制服を強制されると個性は発揮できない。
 しかし、高校生は、服装によって見せかけの個性を発揮するよりも、むしろ集団生活の中で、勉強や部活動を通して自然に個性を磨いていくべきではないだろうか。
  (……以下制服の利点……)
 だから、制服は高校にとって必要だと私は思う。

 ほぼ同じようなことを言っているはずなのに、反論の評価をきちんとして切り返えした文章は、やはり読んでいて気持ちがいいですね。
 なお、この文章にもうちょっと肉付けして小論文らしくした例が、『小論文・作文講義』の中にあります。

タイトルとURLをコピーしました