添削するということ

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他人の文章を添削するということ −先生方へ−

 他人の文章を添削する立場にある人は、国語の教員も含めて、多くの場合「元の筆者の発想をそれほど大切にはしない」という傾向があります。
 添削の対象になる文章には、いろいろな欠点があります。その欠点が気になって、あれこれ添削者が足りない部分を付け加えて、それを消していこうとするのです。
 しかしそれをしてしまうと、添削者が付け加えた部分というのは、元々の筆者の発想にはない部分ですから、元の作者の文章と、添削者の文章とが入り交じった、誰の文章ともいえない何とも奇妙な文章になります。そのような文章に、果たして添削前より価値があるといえるでしょうか。
 文章には、その筆者の思考の方向性や流れというものがあります。これは何を書いているのかよく分からない生徒の文章でも誰の文章でも同じことです。「添削」とは、このような筆者の思考の流れを最大限大切することでなければいけません。
 あちこち材料が散らばっている未整理の文章の中から、埋もれている思考の流れを見つけ出し、「あなたが書きたかったのはこういうことでしょう。それを分かってもらえるためには、こう書かなければならないでしょう」というように導いていくことが「添削」だ、と私は考えています。
 そうしてできた文章には、筆者の発想を超えたそこだけが突出した部分もなく、少々表現は稚拙でも、大人が自分の発想を混ぜ込んだありきたりなものよりも遙かに発想が新鮮なことも多いのです。少なくとも、そのような文章なら、筆者自身が、できあがった文章に違和感を抱くことは絶対にないはずです。それをして「まだ中身がない」ということであれば、それは書き始める前の問題です。内容についてもう一度考え直させ、予備知識を仕入れさせるなど、文章を書くための素材を再点検させることから始めなければなりません。
 生徒の文章を添削する立場にある方は、このようなことも頭の中に入れておいていただきたいと思います。

 なお、このような説明だけでは、具体的なイメージがわかないでしょうから、次頁『「イイタイコト」がある』や、『添削指導の着眼点』なども参考にしてください。

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