まともな文章観が大切

まともな文章観が大切
多くの文章の達人たち?の錯誤
前頁のコラムは、別に選びに選んで持ってきた悪文ではありません。授業実践の報告をある場でしなければならなくなった時に、素材を探そうとして、読売新聞を1週間分も遡らないうちに見つけたものです。これほど典型的な悪文の見本のようなものでさえ、ちょっと探すだけでいくらでも手に入ります。
もちろん、読売新聞だけが問題なのではありません。コラムを入試対策用として大宣伝している朝日新聞でも、他の新聞社でも同じ事です。
ここでの問題点は、大新聞の、しかもコラムを書くような人たちが、気の利いた表現?だけで、内容のない文章を書いて平気な顔をしていられるという実態です。
大新聞の、しかもコラムを書くような人というのは、その新聞社の中でも、特に、文章の達人として評価されている人たちのはずです。それが、美文意識に迷って、内容のない文章を大量にまき散らしているのです。
他には、こういうのもあります。
後で書く通り、岡山県の公立高校の「確かに~しかし~」を使う入試問題の模範解答で、「確かに」で認めたところに対して反論をしないまま、「しかし」以降で自説を展開するような独りよがりのものがありました。まるで樋口裕一です。
公立高校の入試問題は、その県を代表する優秀な先生方が作るはずです。
そして入試小論文界の大御所的存在が、樋口裕一氏です。書店で並ぶ小論文関係の冊子は、ほぼ氏の本で独占されています。
そのような人たちが、「『イイタイコト』を大切にする」という一番大切なことを忘れてしまっているのですから、日本の作文界は、全くの真っ暗闇です。
私ごときががいくら大声をあげても、状況は全く好転しませんが、そのようなことを言ってはいられません。
このような状況の中で、小論文や作文に取り組まざるを得ない受験生たちがかわいそうだからです。
そして何より、作文・小論文にきちんと取り組んでおくことは、単に受験対策のみならず、これからの人生を生きていく上での、強力な思考ツール・情報伝達ツールを手に入れることでもあります。
せっかく作文・小論文に多くの時間をかけて取り組むのですから、生徒にはその努力の結果を最大限に享受できいるように取り組ませたいものです。
えせ指導者の迷言に惑わされてはいけません。