教科書の5段落双括法

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教科書の5段落双括法

 前頁から取り上げている大修館の国語表現 改訂版(国表307 平成29年文部科学省検定済み)の教科書で、『確かに~しかし~」を使う場合の基本構成法を説明した部分を指導資料P67で見つけたので、これのダメな点について考えておきます。

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五段落の構成法を学ぶ

 構成法にはさまざまなものがあるが、ここでは五段落の構成法を学ばせ、身につけさせたい。

 板書例

  1. 問題提起をし、自分の意見を書く。
  2. 自分の意見の理由を書く。
  3. (「たしかに」などで始めて)反対意見を認識していることを示す。=譲歩。
  4. (「しかし」などで始めて)自分の意見の理由の最も説得力のあるものを書く。
  5. (「したがって」などで始めて)自分の意見を再度書いて締めくくる。

 この①から⑤の五つの要素について、一つの段落に一つの内容という原則に従って書けば、必然的に五段落となる。さらに、最初と最後に「意見」があるのは、レッスン1で学習した「双括法」である。このような構成法を「五段落双括法」と呼ぶことにする。
 この五段落双括法は、小論文の初心者にも書きやすく、さまざまな課題にも対応できる、すぐれた構成法である。
 支援
 それぞれの段落の、要素の配置や表現上のパターンを示すとよい。
②段落では自分の意見の理由を書くが、「理由の切り札」(◎印)は出さず、そこそこ説得力のある理由(○印)を示しておく。③段落は、「たしかに」「もちろん」などで始め、自分の意見の欠点や反対意見のよいところ(※印)を認識していることを示す。④段落は、「しかし」「だが」などで始め、自分の意見の理由で最も説得力のあるもの(◎印)を出す。

「反論の評価」の必要性を指摘しない

 このことについては、前頁で説明しました。 

教科書の5段落双括法の問題点

 これ、2.と4.どちらにも自分の意見を書くはずですが、どうして、2.に「そこそこ説得力のある理由」、間に「確かに~」挟んで、後ろの方の4.に「最も説得力のあるものを書く」と書き分けなければならないのでしょうか。
 文章は、

  • 同質のものはまとめて書く
  • 最も大事なものほど先に書く。

が基本です。出し惜しみをして、最初に思わせぶりな「そこそこ説得力のある理由」をちらつかせてから、後になって一番大切なことを述べていくような文章など読まされた日には、誰でもうんざりしてしまいます。こんな意味のない前振りをあえてするなど、文章構成をする上で全くナンセンスです。
 そして何故、2.と4.との間に「確かに~」の段落を挟まなければならないのでしょうか。自分の意見は意見としてまとめて書く方が、論の流れとしては自然なはずです。
 それに本来、「確かに~」の段落は、直前に述べた自説に対しての予想される反論を述べる段落です。直前にある2.は無視して、2.を隔ててわざわざ1.を受ける段落を構成しなければならない必然性はありません。
 しかも、「しかし~」以降の段落は、「確かに~」で認めた反論への論駁のための段落でなければなりません。論理の上から言っても、「最も説得力のあるものを書く」段落ではありません。

「確かに~しかし~」の基本は、4段落構成

 小論文の基本構成は3段落です。

  1. 問題提起。または主張
  2. 自説の論拠
  3. まとめ(自説の簡単な繰り返し)

 この構成で、双括法の場合は、1.が、自分の主張になります。
 「確かに~しかし~」を使う場合、上の「2.自説の論拠」のところが、「予想される反論に論駁しながら自説の論拠を述べる」ことになるため、

  1. 問題提起。または主張
  2. 予想される反論
  3. 反論に論駁しながら、自説の論拠を述べる。
  4. まとめ(自説の簡単な繰り返し)

4段落構成にするのが一般的です。
 この教科書が、このセオリーを無視してなぜ5段落双括法などという馬鹿げた型を持ち込むのか、全く理解に苦しみます。こんな馬鹿げた型を持ち込もうとするお陰で、小論文の章の次に続く例文がどれもこれも変な文章になってしまっています。

教科書傍用問題集の五段落双括法によるダメな小論文例(リンクで縦書きPDF表示)

①文化祭のクラスの出し物は、迷路と演劇のどちらがよいか。私は演劇がよいと考える。
②演劇は、出演者だけでなく、演出、脚本家照明係、大道具係、小道具係など、さまざまな役割があるので、クラス全員が自分に合った仕事をし、充実感を味わうことができる。また、演劇は、脚本、演技、音楽、照明、舞台装置などさまざまな要素が組み合わさった総合芸術であり、文化の祭典にふさわしい。
③確かに、迷路も、奇抜なトリックを考えるなどの工夫をすれば、観客を楽しませる魅力ある出し物になりうるだろう。また、準備期間も短くて済み、当日もそれほど忙しくないので、取り組みは楽である。それに対して演劇は、かなり早くから脚本作り、稽古、道具作りに追われ、当日も、失敗しないかという緊張感に悩まされるだろう。
④しかし、そういう困難があるからこそ、それを乗り越えて成し遂げたときの喜びが大きいのだ。最初は、やる気を見せない人もいるだろう。言い争いなども起こるだろう。不安に押しつぶされそうになることもあるだろうそのような苦しみを味わって、それでも皆でそれを乗り越え、本番で力を出し切ることができたら、クラスが本当に一つにまとまり、大きな喜びを得ることができるのだ。
⑤ゆえに、困難が多くても、というよりむしろ困難が多いからこそ、クラスが一つにまとまり、高校生活の良い思い出となる「演劇」がよいと私は考えるのである。

 この文章の添削については、次頁で。

5段落構成になることもある

 「確かに~しかし~」は、もともと型と言われるような大層なものではないため、上の構成法によらず、反論を予想しながらそれを封じ込めて自説を展開する場面で、自由に使えます。
 ですから、論理展開の仕方によっては、もちろん教科書の構成のように、自分の論拠を先に述べて、それに対する反論を踏まえながら、もう一度、自論を展開していくという流れの文章は当然あり得ます。しかしその時「確かに」以下で述べられることは、直前の論述(「演劇は総合芸術であり、文化の祭典にふさわしい。」)に対する反論であって、遥かに前の、「私は演劇がよいと考える。」に対してのものでは、当然ありません。
 この教科書の指導資料P79から、以下、この5段落構成でも支障がない数少ない例文を引用しておきましょう。 

5段落双括法でも問題ない例文

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<ファストフィッシュの小論文例>(リンクで縦書きPDF表示)

 ファストフィッシュが広まることに、私は賛成だ。ファストフィッシュの利用によって魚が日本の食卓に多く並び、魚好きの人が増えることを期待したい。
 最近、日本人の魚介類摂取量は大きく減っているという。それは、生活環境の変化から、魚の下ごしらえなどを敬遠する人が多くなったからであり、また、特に子どもなどは魚を食べるときに骨が喉に刺さって嫌な思いをするからである。子どもの時の記憶が残リ、大人になっても魚を嫌がる人が少なくないと聞く。あらかじめ下ごしらえがしっかりしてあり、骨まで取ってあるファストフィッシュならば、これらの問題は一気に解決するのだ。
 確かに、ファストフィッシュは日本の食文化を壊してしまうという懸念は存在する。初めから骨が取り除かれていれば、箸を美しく自在に扱う学習をする機会が減り、やがては日本の食文化に大きな影響を与えることになるかもしれないという不安を覚える人たちも少なくないだろう。
 しかし、物事には順序というものがある。たとえば野球を始めた少年には、初めは緩い球を投げて打たせてやり、打つことの楽しさをまず味わわせる。ハードルを高くするのはその後である。魚も同じで、子どもには、まずはハードルを下げ、骨のない状態で提供し、魚のおいしさを味わわせることから始めたい。何ものにも代えがたい魚のおいしさを知ってしまえば、やがては、骨のある状態で出されても、骨を取り除いて食べようとし、箸の使い方も学んでいくだろう。また、よりおいしいものを求めて、大人になれば下、ごしらえもするようになるだろう。まずは、子どもに魚のおいしさを味わわせることから始めるのが大切なのだ。そして、魚好きが増え、一般家庭に魚料理が多く並べられることが、結果的に日本の食文化を守ることにもなるのだ。
 以上のことから、ファストフィッシュが広まることに、私は賛成する。

 この文章、ちょっと後半は気になる点もありますが、途中まではすばらしい。第1段落だけ見ても、「ファストフィッシュ」というのが何なのか分かりません。それで、第2段落の「ファストフィッシュ」の必要性の説明が必要です。「ファストフィッシュ」の内容が分かれば、反論が出てきます。それが3段落目。それに切り替えしていくのが4段落。そしてまとめが5段落、ということで、この場合は、「確かに~」の前に2段落目の前振りがどうしても必要だから、5段落構成の双括法で問題ないのです。

「ファストフィッシュ」の気になる点

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 上の文章は、5段落構成は問題ないのですが、「確かに~」を受けた「しかし~」の部分は少し気になります。
 「ファストフィッシュ」になじめば、本当に小論文例の主張のように、みんなが「骨のある状態で出されても、骨を取り除いて食べようとし」たり、「よりおいしいものを求めて、大人になれば下ごしらえもするようになる」でしょうか。
 このような発想は、何も考えていない能天気で、そういう風に仕向けない限り、そんなことには絶対になりません。「『ファストフィッシュ』こそが魚だ」という認識をしている人は、下処理をしていない魚を見ると、「これは魚ではない」と思ってしまうだけです。
 私達だって、普段から肉を食べてはいても、「牛や鶏を殺してさばくところから初めないと本来の肉を味わったことにはならない」と考えている人なんて、ほとんどいないでしょう。
 ここまでのところで素晴らしい文章展開をしているだけに、ここがこのような主張になってしまっているのは本当にもったいない。「物事には順序というものがある。」なんていうのは、最高にうまい切り返しですから。

ファストフィッシュの小論文添削例(リンクで縦書きPDF表示)

【課題】
教科書57頁「ファストフィッシュ」を読んで、自分の意見を800字程度で書きなさい。
 ファストフィッシュが広まることに、私は賛成だ。ファストフィッシュの利用によって魚が日本の食卓に多く並び、魚好きの人が増えることを期待したい。
 最近、日本人の魚介類摂取量は大きく減っているという。それは、生活環境の変化から、魚の下ごしらえなどを敬遠する人が多くなったからであり、また、特に子どもなどは魚を食べるときに骨が喉に刺さって嫌な思いをするからである。子どもの時の記憶が残リ、大人になっても魚を嫌がる人が少なくないと聞く。あらかじめ下ごしらえがしっかりしてあり、骨まで取ってあるファストフィッシュならば、これらの問題は一気に解決するのだ。
 確かに、ファストフィッシュは日本の食文化を壊してしまうという懸念は存在する。初めから骨が取り除かれていれば、箸を美しく自在に扱う学習をする機会が減り、やがては日本の食文化に大きな影響を与えることになるかもしれないという不安を覚える人たちも少なくないだろう。
 しかし、物事には順序というものがある。たとえば野球を始めた少年には、初めは緩い球を投げて打たせてやり、打つことの楽しさをまず味わわせる。ハードルを高くするのはその後である。魚も同じで、子どもには、まずはハードルを下げ、骨のない状態で提供し、魚のおいしさを味わわせることから始めたい。何ものにも代えがたい魚のおいしさを知ってしまえば、箸の使い方を学んだり、骨を取り除いて食べたりするにもハードルがかなり下がる。それにプラスして、よりおいしいものを追求できるように、下ごしらえから料理する魅力も発信するとよい。まずは、子どもに魚のおいしさを味わわせることから始めるのが大切なのだ。そして、魚好きが増え、一般家庭に魚料理が多く並べられることが、結果的に日本の食文化を守ることにもなるのだ。
 以上のことから、ファストフィッシュが広まることに、私は賛成する。
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