「イイタイコト」がある

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「イイタイコト」がある

あなたはこの文章をどう評価する

 次のような作文に対して、あなたはどのような評価を下すでしょうか。(画像をクリックするとPDFファイルを開くことができます)

 

「イイタイコト」がしっかりある魅力

 この文章の段階で、これを選んで書き直しをさせ、学年集会の代表として発表をさせようと考えるような勇気のある先生というのは、恐らくほとんどいないのではないでしょうか。
 これは、見ての通り、文章がまともに続いていかず、思いつくまま、あちこちに思考が中途半端に飛んでいって、何を書こうとしているのかさっぱり分かりません。それに、言葉遣いも、日本語としての意味をなしていません。ですから、この段階で私が採点するなら、表記の減点をしなくても60点。
 でも、何かイイタイコトがいっぱいあるらしい。それをきちんとまとめさせることができれば、面白い発表になるかもしれないと考えて、無理を承知で、これを学年集会で発表させるための元原稿として今回選んでみました。
 今年45人いる国語表現選択者の中にも、これほど訳の分からない文章を書く生徒は、私の学校でもさすがにほとんどいません。意味が通じることだけを考えたら、恐らく一番訳が分からない文章です。
 でも、私は、45人の中から、これともう一つをあえて代表として選びました。それは、この文章には、他にはない、深い思考をしようとする姿勢と、「イイタイことがつまっている」という魅力があるためです。
 元々イイタイコトがない文章は、いくらいじってみても、たいして説得力のある文章になることはありません。元々考える素地がないところに「考えてみよ」と働きかけるのは、イイタイコトがあるけれども、それがまとまっていない文章を書き直させるよりもはるかに難しいです。

やっぱり、書き直させるのには失敗してしまった

 下が、本人が最終的に書き直した原稿です。元よりは大分ましになっているとはいえ、やっぱりよくは分かりません。完全に指導力不足で完敗でした。(画像をクリックするとPDFファイルを開くことができます)

完成原稿

 下が最終的な発表原稿です。発表は待ってくれませんから、私が全面的に書き直しました。全く別な内容になっているように見えるかもしれませんが、言いたい内容を私が勝手に変えたり、加えたりするようなことは一切してはいません。何回かの推敲で、本人が断片的にほのめかしていたことを、いろいろな所から引っ張ってきて、筋道が分かるように言葉を足して繋ぎ合わせていったのが下の原稿です。
 ですから、「君が本当に言いたかったことはこういうことではないのかな」と聞いても、「その通りだ」と生徒は答えてくれます。自分の思いとは別の、捻じ曲げられた内容を発表させられているとは恐らく感じなかったはずです。(画像をクリックするとPDFファイルを開くことができます)

文章を書くとは、思考整理をすることだ

 確かに、これの出発時点での文章は、ひどいものでした。しかし、これほどではなくとも、我々の頭の中で考えていることというのは、多かれ少なかれ支離滅裂です。頭の中だけで考えているから、つながって論理的な思考を展開出来ているように自分では思い込んでいるだけで、実は、至る所で論理のつながりが甘くて、そのまま文章にできるようなレベルではありません。
 そのことは、文章を書き始めてみればすぐに分かります。我々は、「自分は文章が苦手だから、表現能力がないから書けない」と考えてしまいがちですが、本当はそんなことはありません。文章にきちんと書けるだけのまとまりのある思考を厳密に組み立てることが出来ていないから、書けないだけの話です。
 私でも、やっぱり事情は同じ事です。一度発表までして、自分のイイタイことはすべてわかっているつもりでいても、いざこの文章を書き始めると、やっぱりすんなりとは書けずに、どう書いたらよいか戸惑う場面が結構あります。
 文章を書くとは、そういうもので、文章を書くことによって、自分が本当に言いたかったことが初めてきちんと目の前に現れてくるのです。書く前から、すべて分かりきった内容を、ただ表現するというようなものではありません。
 すなわち、この生徒の文章の元原稿のような思考から始まって、最終的に、最終原稿のような段階にまで仕上げる作業が、文章を書くことであり、その作業を手助けする作業が、添削・文章指導なのです。

思ったままでは文章など書けない

 我々の普通の思考というのは、様々な断片的な想念が浮かんでは消えてゆく、とりとめもないものです。その中から、自分の着目したい主題を取り出してきて、その主題だけに関係する内容を取捨選択して並べていく作業が、文章を書くということです。
 ですからつまり、作文体験のコアの部分とは、多くの材料を前にして、「自分が書きたかったのはこういうことだったのだ」ということに気づく体験にほかなりません。
 この作業は、当然「思ったまま」ではできるはずはないのですから、「あえて思う」「創造する」ための訓練が必要です。それが、作文・小論文の練習です。我々は、小学校から高校に至るまで、まともに文章と向き合い、自分の作文能力を磨く訓練などしたことがない人がほとんどのはずです。例えば、この頁のような作文を徹底的に推敲し、仕上げるという体験を1度でもしたならば、作文に対する根本的な向かう姿勢が分かります。それを2度3度とするだけで、自分が書く文章は飛躍的に変わります。
 書く内容が日常的なものから、専門的な分野に変わっても、文章を書くときの思考の働かせ方は通用します。というよりも、むしろ、それに通用するような、イイタイコトを大切にしていく発想法を、育てなければなりません。
 そのような、「文章に対する感覚を磨くための本質的な訓練を、1回でもいいから生徒にはさせたいな」と私はいつも考えて、作文指導に取り組んでします。

時には教師が敢えて書き換えてやるのも一つの方法

 推敲による書き直しは、生徒が自分で完成させるのがベストです。しかし時には、今回の様に間に合わないこともあります。
 それで教師が、全面的に書き直してしまうことになるのですが、これも時には、指導の一つの方法としてはあり得る、と私は思います。
 私自身の体験として、高校時代に、先生の納得がいくレベルまで仕上げられなかった結果、自分の文章を全面的に書き換えられてしまったことがあります。その時は、「これは自分の文章ではない」と猛烈に反発しましたが、後から振り返ってみれば、あれが私が文章の書き方に一発で開眼した事件でした。
 ですから、生徒に書き直させて、それでもうまくいかない時には、このようにガツンとやるのも一つの方法であると私は思っています。
 でもこれをやるときには、私の様に、「書き換えられた」と思わせないように、「自分が書きたかったのはこういうことだったのか」と生徒自身に気づかせるように、じんわり配慮しながらすることにしています。

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