妻子の衣食のため
山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴
9.「妻子の衣食のため」と「己の詩業に半ば絶望した」ということ
李徴が「一地方官吏の職を奉」じることになった理由は、
数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。
であるが、実は、ここも、巧妙に仕掛けられた「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」の伏線になっている箇所である。
「己の詩業に半ば絶望した」という心理は、「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」と同種の心理である。彼は、己の詩業に絶望したとはいっても、それはやはり半ばなのであって、自分が俗物だと軽蔑していた者達とは違うのだと思いたい気持ちが、依然彼の心の中には残っている。だからこそ、彼の苦痛は全く耐え難いものだったのである。
「妻子の衣食のためについに節を屈して」についても、李徴が「節を屈す」るに当たって、自分に対する言い訳になったと考えたい。
考えてみれば、李徴の詩業に対して、妻子の理解が少なかったにしても、衣食に窮する所まではいったのであり、そうであれば、妻子がいなかったにしたところで、遅かれ早かれ李徴自身が衣食に窮することになるのは避けられないはずだ。
ところが彼の場合、「妻子のため」と言い訳することで、己の挫折を真っ正面から見据えることなく一地方官吏として任官することができた。つまり、「妻子の衣食のため」と考えることで、己一人で修行に励んでいるのであれば絶対に避けられない「挫折への直視」を避け、自尊心を守ることが可能となったのである。