李徴が詩に求めたもの

山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴

6.李徴が詩に求めたもの

 李徴が詩に求めたものについて考えてみたい。李徴が求めたのは、「詩家としての名」であって、これは「自分の詩をより優れたものにしたい」という欲求と同じではない。どちらでも同じことではないかと思われるかも知れないが、この両者は微妙に異なる  。「詩を作るのが飯を食うより好きだ。」という人の場合、たぶん自分の作る詩が今よりももっとすばらしいものになることを願い、そのために日夜怠らず精進するだろう。その時、「詩家としての名」があがることを期待することも当然あるだろうが、その場合でも、彼の努力は、あくまで「自分の詩をより優れたものにする」ためであって、「詩人として名を成す」ためではない。

 ところが、李徴の場合は、

「詩家としての名を死後百年に遺そうとした。」 「自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。」 「羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、おれは、おれの詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。」

とあるように、「『長安風流人士』に認められる詩家となること」に意識の中心がある。なるほど、「詩人として名を成す」ためには、優れた詩人になることが要求されはする。「詩人として名を成」そうとする時、彼の意識の中には、「優れた詩人にならなければならない」という意識が渾然一体となった形であっただろう。しかし、この「なければならない」という意識に注目してほしい。「好きだから知らず知らずの内に大家に成っていた」というのとは違って、彼の場合、「詩人として名を成す」「『長安風流人士』に認められる詩家となる」という彼の価値観に基づく目的が先に立って、それを追い求めていったのである。言い換えれば、彼の願いは、自分の詩を現状より少しでも良くしたいという欲求ではなく、自分の現状とは離れたところにある理想だったと言ってもよい。
 私はここに李徴の詩に対する執着心の限界を感じる。彼の詩に対する執着心は、詩に対する内心からの有無を言わせぬ要求というよりも、「かくありたい、かくあらねばならぬ」という、自分に課した理想であり、義務であった。それ故に、非凡な才能を持ちながらも、結局は、「才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧」(「憶病な自尊心」、「尊大な羞恥心」)と、「刻苦をいとう怠惰」とから、自分の才能を磨かずに過ごすことを自分に許してしまったように私には思われる。

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