内省的な李徴

山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴

4.李徴は、物事を抽象的内省的に考えていくタイプ

 ところで、先の生き物のさだめ云々の言葉は、自分が虎になったことを知ったそのときの李徴の言葉ではなく、自分の経歴を語っている時に浮かんだ感想のようだということに注意してもらいたい。

どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんなことでも起こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。全く何事も我々にはわからぬ。理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐに死を想うた。

 つまり、李徴は、己の運命を何度も何度も繰り返し考えた挙げ句にこの人間存在に対する一般化された感想をもらしているのであって、そのことは、「いったい獣でも人間でも〜」の感想でも同じである。
 人には、物事を抽象的に内省的に考えていくタイプと、実践的感覚的に捉えていくタイプがあるが、李徴は典型的な前者のタイプである。そのことを先二項のことと考え合わせると、李徴という人物は、元来かなり内省的なタイプの人間であり、そういう人間として、己の生き方について、人間としてのあるべき姿を常に求め、価値ある生き方をしたいと考えていた人物だと考えられる。

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