臆病な自尊心
山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴
8.臆病な自尊心と、尊大な羞恥心
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という言葉は、かなり分かりにくい。しかし本文中の言い替えを追いかけていくことで、なんとか意味が見えてくると思う。
李徴の、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」故の行動は、
進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
というものである。これを言い換えた部分を探すと、「あえて刻苦して磨こうともせず」「碌々として瓦に伍することもできなかった」であることが分かる。これらの部分が含まれている一文は、
己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。
だ。ここには、人と交わることを避ける李徴の行動と、そういう行動を取るに至った心理とが述べられている。そこでここから、「己の珠にあらざることを惧れる」「己の珠なるべきを半ば信ずる」というのが、李徴の「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の正体であることが分かるのである。
これらの読解を表にすると次のようになる。
他人−倨傲、尊大(李徴の弱い面に気づいていない)
↓
李徴−人との交を避けた
↓
李徴−人との交を避けた
| 交わらない相手 | 師、詩友(自分と同等かそれより上) | 俗物(瓦)(自分より下) |
| 行動 | 進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった ‖ |
俗物の間に互することも潔しとしなかった
‖ |
| 刻苦して磨こうとしない | 碌々として瓦に伍することもできなかった | |
| 理由 | 己の珠に非ざることを惧れる | 己の珠なるべきを半ば信ずる |
| 心理 | 臆病(な心) 羞恥心 |
尊大(な心) |
| 才能不足を暴露して、自尊心を傷つけられたくない(自尊心を守りたい) | これらの人よりは自分の方が優れているのだという自負(自尊心) |
上の表で明らかなように、「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」はほぼ同じ心理を表している。すなわち、自分より上か同等だと見なした相手に対しては、それらの人と交わることで才能不足が暴露され自尊心が傷つけられるのを恐れる一方、自分以下だと見なした相手に対しては、「自分ほどの人間がこいつらと同列であっていいはずがない。」という自負を感じる心なのである。自負心を持ってはいても、それが「半ば」でしかなかったというのが李徴の自尊心であり、普通相矛盾すると思われる、「尊大さ」と、「臆病さ」とが同居している、つまリ、自尊心は持ちながら、自分の才能を絶対的には信じられないが故に、臆病にもなっているというのが、彼の「臆病な自尊心」(尊大な羞恥心)なのだ。
以上、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」がほぼ同じ心理を表していることを確認した上で、作者はやはりこの両者を使い分けているようだということも指摘しておきたい。これらの言葉はほぼ同じ心理を表してはいても、やはりニュアンスの上では、「自尊心(自尊心を守ろうとする気持ち)」、「羞恥心」にそれぞれ重点がある。
「憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。」というとき、安易な方法で自尊心を保とうとする自分を甘やかす気持ちを自分に許してしまったのであり、また、「人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣にあたるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」では、才能不足を暴露して、自尊心を傷つけられたくないという羞恥心がどうしても先に現れてしまい、本来なら制御すべきであった、羞恥心を制御できなかったのである。
- 自尊心−「自分を大切にし、誇りに思う心。」
- 「自尊心」は、自負心を持っているという意味では、表の「尊大(な心)」のすぐ下に記入することもでき、その方が図式的に割り切れる。しかし、これまでの読解から明らかなように、「自尊心を傷つけられたくない」という形で、師・詩友と交わろうとしない行動にも自尊心が反映されているので、先に示したような表にするのが良かろうと思う。