李徴の潔癖さ
山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴
5.李徴の理想主義的潔癖さ
ここで、「性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎吏に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。」という一文について考えておきたい。科挙に合格して得られた「江南尉」の位が、世間一般の人の目から見て「賎吏」などでないことは、同年科挙に合格した袁さんが、数年後(正確には、数年後の二年後)、「監察御史」となって各地を回っていることからも明らかである。にもかかわらず、李徴が「江南尉」を「賎吏」だと考えたのは、この位でさえ「下吏となって長くひざを俗悪な大官の前に屈」しなければならないものだと考えたからであった。
つまり、世間の人にとっては、詩や学問が非常に出来ることによってなれる科挙の合格者ではあっても、李徴にとっては大した存在ではないのであり、地位や財産があることを傘に着たり、あるいはそれら地位や名誉や財産などを求めることに汲々(きゅうきゅう)としている彼らは、李徴にとって俗悪としかいえない存在であった。
「下吏となって長くひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとし」て、李徴はきっぱりと江南尉の位を捨ててしまう。だが、誰でも、「数年の後、貧窮に堪え」ることができなくなるかも知れないことくらい容易に想像がつくことである。李徴の場合、彼が江南尉を辞することを回りの者に告げたとき、誰もがそのことについての危惧を口にし、現在の地位の安泰さを説いたはずだ。にもかかわらず、李徴がすっぱりとその位を捨て去ったのには、確かに「自分ほどの人間が詩人として大成しないはずがない。」というプライドの高さも当然あっただろうが、そこにはその自負心を支えとした彼の価値観も大きく関与していたと思われる。
彼は、「認めることのできる価値あるもの」、例えば、詩あるいは学問と、「取るに足りぬ下らぬもの」、例えば、地位や財産とを、全く相いれないものとしてはっきりと区別し、「取るに足りぬ」と判断したものについては徹底的に軽視し、見向きもしなかった。李徴ほどの地位にあれば、少し利口な生活者ならば、その地位を利用して、退官しても困らないような措置を取ることなどはおそらく簡単であったに違いない。しかし、例えば、己の地位を利用して私腹を肥やしたりすることなどは、彼にとっては恥辱以外の何物でもなかったに違いない。だから、李徴はきれいさっぱりと江南尉の位を捨て、詩作に専念する。こういういわば「理想主義」とでもいうべき潔癖さを李徴は持っていて、それは自負心を支えとして李徴の行動の全面に現れていた。この、世俗とのなれ合いを拒否し、「あれかこれか」という極端に峻別された自分の価値観を主張していった李徴の姿勢が、彼とつきあう生活者達に、李徴の性格を「狷介」だと思わせたものの正体のはずだ。