豊太郎の持つ常識

舞姫—常識と実感との乖離

5.豊太郎の持つ常識

 ドイツにとどまった豊太郎の一番の関心事は、名誉の恢復であって、エリスではない。
 豊太郎がドイツに留まろうとする時、エリスのことは、その理由の一つにすらなっていない、相沢が天方伯に伴われてやってきたときの、エリスとの「憂きがなかにも楽しき月日」についても、気持ちの中心は「憂し」であって、「楽しき」ではない。このとき彼の中心にあるのは、「本来ならこうあるべきはずではないのに」という思いだ。
 だから、彼の心の奥底にある意識されない気持ちはともかくとして、相沢が「エリスと分かれて、天方伯に信頼されることで名誉の恢復を目指せ」と助言した時、相沢のこの言葉は、豊太郎の持っていた「価値観」=「常識」と全く同じものであったはずだ。
 名誉恢復は至上命令である。一方で、「天方伯に信頼される」ということは、実感をもって想像しがたいことであるため、絶対にエリスを捨てなければならないという切実さもない。「捨て難い」とはいっても、「身分違いの恋は、所詮重んずるに足りない。」という気持ちもある。このような気持ちの中で為されたのが、「姑く友の言に従」ってした、「エリスと別れる」という約束だ。

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