老婆に説得されない
羅生門—情緒的に生きる自分を見つめる精神的苦痛
2.下人が老婆の論理に納得する(説得された)はずはない
この下人に盗みを働く勇気を与えたのは、言うまでもなく、死人の髪を抜く自己の行為を正当化しようとする老婆の言葉である。そこでまず、老婆の言葉を論理の面から検討しておきたい。
老婆の論理は二点にまとめることができる。
- 生きるために仕方なくする悪は許される、という論理。
- 悪いことをやった人は悪いことをやられても仕方がない。すなわち、悪に対する悪は許される、という論理。
下人は門の下で悩んでいた時、「1」の論理を認めるかどうかで逡巡していた。老婆の話にこの論理を納得させるだけの論理的な説明は無く、老婆が言ったということ自体が後から説明するように、下人を納得させるに足るものではない(むしろ反感を抱かせるものである)ことなどを考えると、実際に老婆の着物を剥ぐ行為をする下人に、論理面で付け加わったのは「2」だけである。
では下人は老婆の話によって「1」の論理に加えて「2」の論理を得たから悪事を働く勇気を持ったのだろうか。
私は違うと思う。下人が自分の悪を行う行為を正当化する視点を一つ付け加えたことは、彼が老婆の着物を剥ぐ行為をした時、自分の行為を正当化しやすくなったことを意昧する。しかし、彼を「行為」へと踏み切らせたものはそんな論理などではないはずだ。
「なるほどな」で始まる老婆の言い訳を聞く下人は終始(しゅうし)老婆に対する憎悪と侮蔑(ぶべつ)の念を感じていた。一般的に言って、我々は憎悪し侮蔑している者の話をまともに聞いたりはしない。ましてその人の話を聞いて説得されたり、納得したりするなどというようなことはまず考えられない。
このような場合は、むしろ、もっともらしい言い訳をする相手を前にすると、余計反感を募らせて、いじめてみたくなる気持ちの方が強くなるのではないだろうか。
このようなことを踏まえると、老婆の論理の中には、なるほど門の下で下人が悩んでいた時には持っていなかった視点が含まれてはいるのだが、下人が悪事を働くに至る決定的な原因を与えたのが老婆の論理だなどとは、とても考えられない。