走れメロス
『走れメロス』異論 -(主題)本当に友情と信頼の物語なのか-
表現に素直に読むと突っ込みどころ満載
太宰治の『走れメロス』は中学校二年の定番国語教材であるらしい。そこから、「友情」と「信頼」を読み取らせようという意向のようである。しかし、少々へそ曲がりな私からすれば、そのような読みでは、道徳の授業にはなり得ても、国語の授業にはならないと思う。
ネットで、『走れメロス』の書評を検索してみると、定番の「友情と信頼に感動した」という意見がある一方で、「突っ込みどころ満載」という意見が多々見受けられる。この、「突っ込みどころ満載」というのが、この作品の表現を素直に読み取った結果の感想なのだと私は思う。
メロスの人物像
主人公のメロスは、少々思慮の足りない直情径行の筋肉馬鹿であり、他人に対しては配慮が足りないくせに、内実が伴わない自信過剰で、自分に対しては激甘の、自己肯定感の強いナルシストでもある。このような人間の言動から、果たして「友情と信頼」など、本当に感じられるものかどうか。
友人の命を軽く考えすぎ
友人のセリヌンティウスは立派である。うがった読み方をしなければ、彼に「友情と信頼」を感じることは十分に可能だ。
しかし、メロスにとっては、友人の命の重みが軽すぎる。妹の結婚式に自分が出席したいがために、友人の命を簡単に質草にしてしまうし、日没までに帰らなければ友人の命が失われてしまうというのに、「そんなに急ぐ必要もない」と考えて、帰路、「好きな小唄をいい声で歌い出し」て、ぶらぶら歩いたりもする。緊張感がゼロで、「万一のために、少しでも早く戻っておこう」という危機意識のかけらもない。
メロスの直情径行の無計画ぶり
メロスの直情径行の無計画ぶりは、邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王についての話を聞くや、何の策も計画もなしに着の身着のまま王城に乗り込んでいく冒頭から始まって、物語の全編にわたっている。そのことを、時間の使い方から見ておこう。
妹の結婚式出席のために三日の猶予をもらい、王城から妹の待つ家まで十里。約40Kmだから、ほぼフルマラソンの距離である。オリンピック選手は、この距離を二時間ちょっとで走る。マラソンの上級者の平均は三時間半ほどらしい。
捕らえられたセリヌンティウスと深夜に別れて、村についたときには、「翌る日の午前、陽はすでに高く昇って」いたというから、「急ぎに急いで」とはあるが、まあ時速5~6Kmほどの速足程度で、休まずに歩き続けたと考えるべきだろう。(※注1)
夜まで眠って、「結婚式を明日にするのは仕度ができていないので、葡萄の季節まで待ってくれ」といってしぶる花婿を説得するのに翌朝までかかった。要するに、無理矢理思いつきの結婚式挙行。
真昼に式が行われて、それから祝宴。「夜に入っていよいよ乱れ華やかにな」ったとあるから、ノンアルコールで禁欲的に過ごしたとはとても思えない。
だから、思った時間には当然起きられない。
目覚めたのは翌る日の薄明で、「寝過したか」とも思ったが、最初こそ矢の如く走り出たものの、隣村まで来ると、「そんなに急ぐ必要もない」と小唄を歌いながらぶらぶら歩いて、二里行き、三里行きという具合に、道半ばで真昼時になる。時間から逆算すると、普通に歩くよりもさらに遅い時速2~3Km程度のぶらぶら歩きでここまで来たようだ。
そこで川の氾濫に遭い、トライアスロン選手以上の奮闘をして、川を越えると、陽は既に西に傾きかけている。
それからさらに峠で山賊に会う。棍棒を奪い取って三人を殴り倒し、他の者から逃れて、峠を駆け下りたところで立ち上がることができなくなり、うとうととまどろんでしまう。
目覚めたときには、「斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いてい」たとあるから、初夏とはいえ、メロスはオリンピック選手並みに走って、午後七時頃日没ぎりぎりで王城にたどり着いたようだ。(※注2)
メロスは、濁流を突破し、山賊の囲みから逃れることができたのは、「私だからできたことだ」などとうぬぼれているが、三日間全体の時間配分からすれば、少しの体力と思慮がある者なら普通にできそうなことを、オリンピック選手並みの超絶体力が無ければ乗り越えられないような難しいものにしたのは、メロス自身の無計画さだ。
ナルシスト メロス
メロスのナルシストぶりも大したものだ。自分の身勝手で身代わりにした友人の命を取り戻すため王城に向かっているだけなのに、「身代わりの友を救うために走るのだ。王の奸佞(かんねい)邪知を打ち破る為に走るのだ」とヒーロー気取り。
メロスの人間らしいリアルなところ
王の暴虐を糾弾し、愛と信頼の大切さを説くメロスの言葉は、教条的で薄っぺらい精神論なのに対し、メロスがもう間に合いそうにないと思いながら、「もう、どうでもいいという、勇者に不似合な不貞腐(ふてくさ)れた根性」を見せて、「約束を破る心は、みじんも無かった」「私は精一ぱいに務めて来たのだ」と自己弁護に走るところや、「もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか」と裏切りを考えるところなど、この小説の中ではここだけが妙にリアルで、人間臭さが感じられ生々しい。(そして、とっても太宰治らしい。)
このことにはもっと注意を払ってもいい。
現実は偶然うまくはいかない
メロスは、見積もりが甘過ぎるにも関わらず、予期せぬ様々な困難にも、超絶の身体能力と、重なる偶然とによって裏切りを免れ、友情と信頼を主張することができた。しかしそれはメロスの人徳でもなければ、努力の成果でもない。ただ単なる重なる偶然のたまものだ。
この物語では、「寝過したか」と思うことのほかにも、疲労困憊して意識を失ったこともある。そういう時、この物語のように、ギリギリ間に合うことがどれほど確からしいだろうか。多くの場合、起きた時に、「わー!」と言って、結局もう少しのところで間に合わないことの方がどれほど多いことか。それが、現実というものだ。
友情や信頼など、薄っぺらい妄想だ
そのようなことを考え合わせると、物語の表面的なところでは、友情と信頼を手放しに賛美するかに見えるこの作品も、実は突っ込みどころ満載で、そこを正確に突っ込むと、「お前たちが手放しで賛美する友情や信頼など、このような、思慮の欠けた独りよがりな考えに基づく薄っぺらなもので、危うい綱渡りの上に成り立つ妄想に過ぎないものなのだぞ」とこの物語が訴えかけてきているように、私には思われてならない。
※時間計算の注1・2
※注1 この計算で時々引用されるのが、ある中学生、村田一真君の自由研究ですが、出発は「初夏、満天の星の深夜出発」との記述から、午前0時と仮定したのはいいとして、「午前、日は既に高く昇って村人たちは野に出て仕事を始めていた」から到着を午前10時と仮定して、平均時速を 3.9キロと推定したのは、農作業をしない中学生(現代の勤め人)の感覚ですかね。
農作業をする人は、暑くなる前の涼しい内に仕事を始めます。ですから、午前8時ぐらいになると、もう既に一仕事を済ませたというぐらいの感覚になっているはずです。「日は既に高く昇って」というのは、このように早くから農作業をしている人の感覚なのでしょうから、「仕事を始めていた」というからには、遅くとも午前7時か精々8時ぐらいまでなんじゃあないでしょうか。
ちなみに、彼はメロスが最後に王城を目指して全力で走った時でも、時速5,3Km程度の早歩きだったと結論付け、そうだとすれば、本文に大げさに書かれた表現ほどには速く走っているわけではないわけですから、タイトルは、『走れメロス』よりも、『走れよメロス』の方が合っていると面白いことを言っています。
彼の研究は、着眼点や、考察方法、グラフ化など面白いところも多いのですが、細かいところでは、本文の内容をきちんとは踏まえていない部分があるので、最終的な考察は、ちょっとおかしなことになっています。
「夜に入っていよいよ乱れ華やかにな」った祝宴の後、一眠りして目覚めた時、「体調OK」かというと、「ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考え」「死んだように深く眠った。」、そして「寝過した」という記述から、私は「二日酔いだった可能性が高い」と思っています。
でもこれは、酒を飲まない中学生には想像がつかないでしょう。
復路は、最初隣村までは走っていますから、出発時間が彼の仮定どおりなら、隣村以降中間点の川までは、彼の見積もり時速2.7Kmよりももっと遅くなります。
※注2 最後のところでは、空が夕日で赤く染まってから日没までの間に、昼の中間地点からの残り20Kmの内、川と峠の上り下りの後に残された距離を、少なくとも10Kmくらいは走っているとすれば、かなりなスピードでは走っているはずです。
総じて、村田君の言い方を借りて面白く言えば、『計画しろよメロス』『人のことを考えろよメロス』『自己中過ぎるぞメロス』『自信過剰だぞメロス』『真剣になれよメロス』というところですかね。
参考文献:(~走れメロス~太宰治著)「メロスの全力を検証」 村田一真
農作業をする人は、暑くなる前の涼しい内に仕事を始めます。ですから、午前8時ぐらいになると、もう既に一仕事を済ませたというぐらいの感覚になっているはずです。「日は既に高く昇って」というのは、このように早くから農作業をしている人の感覚なのでしょうから、「仕事を始めていた」というからには、遅くとも午前7時か精々8時ぐらいまでなんじゃあないでしょうか。
ちなみに、彼はメロスが最後に王城を目指して全力で走った時でも、時速5,3Km程度の早歩きだったと結論付け、そうだとすれば、本文に大げさに書かれた表現ほどには速く走っているわけではないわけですから、タイトルは、『走れメロス』よりも、『走れよメロス』の方が合っていると面白いことを言っています。
彼の研究は、着眼点や、考察方法、グラフ化など面白いところも多いのですが、細かいところでは、本文の内容をきちんとは踏まえていない部分があるので、最終的な考察は、ちょっとおかしなことになっています。
「夜に入っていよいよ乱れ華やかにな」った祝宴の後、一眠りして目覚めた時、「体調OK」かというと、「ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考え」「死んだように深く眠った。」、そして「寝過した」という記述から、私は「二日酔いだった可能性が高い」と思っています。
でもこれは、酒を飲まない中学生には想像がつかないでしょう。
復路は、最初隣村までは走っていますから、出発時間が彼の仮定どおりなら、隣村以降中間点の川までは、彼の見積もり時速2.7Kmよりももっと遅くなります。
※注2 最後のところでは、空が夕日で赤く染まってから日没までの間に、昼の中間地点からの残り20Kmの内、川と峠の上り下りの後に残された距離を、少なくとも10Kmくらいは走っているとすれば、かなりなスピードでは走っているはずです。
総じて、村田君の言い方を借りて面白く言えば、『計画しろよメロス』『人のことを考えろよメロス』『自己中過ぎるぞメロス』『自信過剰だぞメロス』『真剣になれよメロス』というところですかね。
参考文献:(~走れメロス~太宰治著)「メロスの全力を検証」 村田一真
※時間計算の注3
※注3 往復路について、イタリアの地図を見ながらどのような経路をメロスが辿ったのかについて検証した横浜の全力中年さんの面白いレポートがあります。
一番参考にしたいところは、メロスが走ったのは、標高差がある山道だった可能性があるということです。
私たちは今日の整備された道路を連想して、「歩くのは平均4km位と思ってしまいますが、紀元前の山道なら確かに、そんなに早くは歩けないかもしれません。
時速3Kmでも速いと言えるのかも知れない。それに往路は婚礼用の荷物も背負っています。
そんなことを考えると、メロスの苦労をもっと分かってあげないといけない気もしてきます。
『走れよメロス』では、ちょっと可哀想すぎるかもしれません。
帰路における往路の疲れの累積の指摘も鋭いです。
しかし、「『そんなに急ぐ必要もない』と小唄を歌いながらぶらぶら歩いて、二里行き、三里行き」という記述が、私にはどうしても引っかかります。
少なくともここでは気を抜いて歩いているので、気を抜かずに、山道を全力で目標に向かって一目散に駆け抜けていこうとするトレイルランと同視して、「目標に向かう一途な努力」を手放しで評価するのはやはりいかがなものかと思います。
なお、往路の到着時間の設定や、「利他のために全力で走った」「自己犠牲や友情といった『くさすぎる価値』を、全力でまっとうしたメロスの姿に心を打たれる」というこの筆者の結論については、これまでの考察通り、私には異議があるところです。
一番参考にしたいところは、メロスが走ったのは、標高差がある山道だった可能性があるということです。
私たちは今日の整備された道路を連想して、「歩くのは平均4km位と思ってしまいますが、紀元前の山道なら確かに、そんなに早くは歩けないかもしれません。
時速3Kmでも速いと言えるのかも知れない。それに往路は婚礼用の荷物も背負っています。
そんなことを考えると、メロスの苦労をもっと分かってあげないといけない気もしてきます。
『走れよメロス』では、ちょっと可哀想すぎるかもしれません。
帰路における往路の疲れの累積の指摘も鋭いです。
しかし、「『そんなに急ぐ必要もない』と小唄を歌いながらぶらぶら歩いて、二里行き、三里行き」という記述が、私にはどうしても引っかかります。
少なくともここでは気を抜いて歩いているので、気を抜かずに、山道を全力で目標に向かって一目散に駆け抜けていこうとするトレイルランと同視して、「目標に向かう一途な努力」を手放しで評価するのはやはりいかがなものかと思います。
なお、往路の到着時間の設定や、「利他のために全力で走った」「自己犠牲や友情といった『くさすぎる価値』を、全力でまっとうしたメロスの姿に心を打たれる」というこの筆者の結論については、これまでの考察通り、私には異議があるところです。