李徴の望む生き方
山月記—「人間」であることを求め、破れた李徴
3.李徴の望む生き方
ここで一つ注意しておかなければならないことは、李徴にとっての「己の求める方向」についてである。今日、一般的にいえば、不幸でない状態、もっと積極的にいえば、幸福な状態を求める人が圧倒的に多いと思われるが、李徴の場合はそうではない。
虎の心と人間の心を両方持ち、だんだん人間の心が失われていくとき、李徴が最も恐れたのは人間の心が失われてしまうことであった。 このことを少し詳しく見ていくと、虎になった李徴に人間の心が戻っているとき、彼のやることは、
- ・言葉をしゃべる。
- ・(複雑な)思考をする。
- ・経書の章句を誦んずる。
-
(学問について考えると考えても良いし、道徳について考えると考えても良い。)
- ・己れの虎としての行為を倫理的に反省し、己の運命を振り返る。
- ・詩への執着心(理想を追うこころ)をもっている。
のようなことである。これらは、他の動物にはできない人間のみに許された特質であり、他の動物とは違うものとして、人間を人間たらしめる所以(ゆえん)のものである。普通、人間の心は、李徴の内面と同じように、多くの獣性と少しの人間性に支配されている。その内で李徴は、この人間としての特質が失われてしまうことを「このうえなく恐ろしく感じている」のである。
このように、不条理な現実にあって李徴の求めるものとは、自分の幸福というものよりも、人間として、自分の許せる価値ある自分でありたいということなのである。もちろん、「幸福」か、「人間としてのあり方」かという風に簡単には割り切ることはできないが、李徴が、「人間として自分の許せる価値ある自分である」ことを強く求め、そのために詩に執着した人物であることは確認しておかなければならない。