老婆への憎悪が原動力

羅生門—情緒的に生きる自分を見つめる精神的苦痛

3.老婆に対する憎悪が悪事実行の原動力

 では老婆の話のどこに、下人に悪を行なう行為に踏み切らせる要因があったのだろうか。
 それがさきほど言った、憎悪と侮蔑を感じている相手が、もっともらしい言い訳をするのを前にすると、余計反感を募らせ、いじめたくなる気持ちが強くなる、という心情である。
 同じ困らせるにしても、相手の論理を逆手にとって、相手の論理を使って引剥(ひはぎ)をすれば、老婆は余計にダメージを受け、バカにできる。
 そのような思いを行為に移したから、彼は悪を行なう勇気を持ち得たのである。(ただし本当は勇気を持つことがないままに、気分で行動に移してしまったという方が正しい。)
 下人はこの小説の中で一度は「正義を行なうためには飢え死をも辞さない」というような姿勢を示している。その彼が、数分の後には老婆の着物を剥ぎ取るという悪を行なう。一見矛盾しているように見えるけれども、彼が自分の行為を理性で律(りっ)している人間ではないことを考えれば、これはそれほど理解し難いことではない。
 すなわち、下人は「自分の置かれた状況に極めて情緒的に反応していく」のであって、「種種の事柄を理性で判断し、倫理的に考える」というタイプの人間ではないのだ。だからこそ、正義を行なおうとした数分後には悪を行なおうともするのである。
 羅生門においては、下人の心理変化に対する作者の観察は見事である。非常に異常なことを想像させることによって自分に恐怖心すら与えた相手が、実は、想像した事態に比べて極めてスケールが小さくみみっちいことをやっている卑小な存在にすぎなかったと知った時、「冷ややかな侮蔑」とともに、前の恐怖が強かった分だけそれを感じさせた相手に対してより強い憎悪が生じる過程は素直に納得できる。そして、その強い憎悪から、もっともらしいことをいう老婆を困らせるために下人が老婆の着物を剥ぎ取ってしまうことも、また極めて自然に受け取ることができるのではないだろうか。

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