自分

読み手の立場に立とうとする姿勢は大切だが

 「読み手の立場に立とうとする姿勢はとても大切ですが、「人が何を読みたいのか考え」て、「人が読みたいと思うことを意識して書く」というのはいかがなものでしょうか。
 「自分が本当に書きたいこと」の他に、「人の読みたいと思うこと」を本当に我々は書けるでしょうか。私は、文章を書くというのはそんな甘いものではないと思います。
 「人にあわせよう」とすれば、「これくらいなら人は喜ぶだろう」という意識が生まれます。こういうとき我々は、どうしても読者を喜ばせようというさもしい下心を持った文章を書いてしまいます。文章を読む力のさほど無い子どもたちを相手にするのなら、ある程度はこれでも通用するかもしれません。しかし子どもでも、我々が想像するほど、そんなに鈍感ではありません。
 「読者を喜ばせようというさもしい下心を持った文章」というのは、また後のページで説明しますが、内容がないのに表現ばかりが強調されどぎつくなっている文章と同じです。これを読まされる側は、面白くもないのに、作者から「面白いと思え、思え」と強制されて、しらけてしまいます。
 それと、「人にあわせよう」という時のもう一つの問題点は、「あわせよう」としている所に人の本当の興味がないことが多いということです。つまり、「これなら喜んでくれるに違いない」と我々が思っているのは、書く側の全く勝手な思いこみで、その勝手な思いこみに基づいて、誤った目標に向かって努力してしまうことも多いのです。
 氷室冴子という作家がいます。子どもが書くような口語体で、子ども向けの小説を書いていました。今はどれほど読まれているのか知りませんが、昔かなりはやりました。
 その彼女の文体は、中・高生が書くような口語に近い文章で、ちょっと見、中・高生なら誰でも書けると思うような文体です。しかしよく見てみると、このような文章の中にも、かなり言葉を知っていなければ書けない単語や言い回しが結構出てきます。そのようなことから考えても、彼女はきちんとした大人の文章を書く力を十分に持っていて、なおかつ子どものニーズに応えるような心理描写をやってのけていることが分かります。
 彼女がやっていることがまさに、「人が読みたいと思うことを意識して書く」ということです。これと同じことをできるでしょうか。きちんとした基本的な文章もおぼつかない人がこれをまねようとしても、砂の上に建物を建てようとするようなもので、おそらくうまくいくことはないでしょう。

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