「銭もうけ」=社会貢献
「銭もうけ」=社会貢献
「『銭もうけ』=社会貢献」という風には必ずしもならないが、「『銭もうけ』=悪である」という発想ではお話にならない。
実際自分で商売をちょっとでもやってみれば、「人がどれだけお金を払ってくれないか」「銭もうけは難しいか」ということがよく分かる。
人をだましたり、道徳的でない方法で「銭もうけ」をするのでないかぎり、正当な商行為の中では、物であれサービスであれ、「そのお金に相当する価値がある」と判断した場合だけに人はお金を支払ってくれる。人がお金を支払ってくれるということは、その人が求めるものを手に入れるために、喜んでお金を差し出してくれたのと同じことなのだ。
だから「どのような立場で人に喜んでもらって、銭もうけをするか」ということを考えている限り、「銭もうけ」は「社会貢献」なのである。そしてこのようにしてお金をたくさん儲ければ、税金という形でも社会に貢献する。
政府の大企業優遇も、経済成長を望む我々の考え方の裏返し
よく批判の矛先が向けられることに、たとえば不況になると、政府が個人の低所得者の税金をどんどんあげて、大企業を優遇し、ゼネコンなどを使ってダム工事や、建築工事を次々にやろうとするということがある。なるほどそれによって環境が破壊されるなどの悪影響があれば、批判はあながち間違いではない。しかし、それによって多くの金が社会で動き、多くの人の懐を潤すことを期待している多くの人がいることも見落としてはならない。
社会の中で金が動くことを第一に考えるなら、お金をたくさん持っている金持ちを優遇して、たくさんの事業をさせるに限る。貧乏人に少々金を持たせたところで、ささやかな商品購入に充てるか、さもなければ貯蓄などというものにして、お金の流れを停滞させてしまうかくらいのことで、この面を重視して考えた場合には、どうせたいした効果は期待できない。
そういう意味では、どこかの政党が数年前にやった、「地域振興券」というような形で、はした金を個人にばらまくというようなのが、金だけ使って経済効果を生まない一番の愚策だ。
このようにして金持ちを優遇して、その他の庶民に増税をしていこうというような現在の政治の流れが当然のごとくして生まれてくるのである。
だから、もし我々が相も変わらず、経済成長を望み、所得の増加を望み続けるなら、これらの経済活動は、「経済活性化」という美名の元に行われ続けるに違いない。このような事情を一切無視して、そのような政策が横行することを批判してみても、全く無意味だ。それは、実は「景気がよくなってほしい」「経済成長をしてほしい」という我々の望みを反映した結果だからだ。
このように政策が、環境破壊や、一般庶民層軽視につながっていくのは、政治家や大企業が悪いばかりではなくて、むしろ、私たちの経済成長を望み続ける考え方そのものに原因があるのだということをよく考えてみなければならない。
「国民のための施策?」も、みんなの望む方向がおかしければ当然おかしな方向に進むのである。
銭儲けの罪悪視はやめるべき
一部の違法な人たちや、人のためにならないことを顧みない人たちのことを考えて、「銭もうけ」そのものを罪悪視するような考え方は改めなければならない。特にこれから商業高校で学ぼうというような生徒諸君には、是非とも上に挙げたような視点で「銭もうけ」ということを考えてもらいたい。