銭もうけを教えたい

商業高校では「銭もうけ」について教えたい

 「『銭もうけ』はよいことであり、社会貢献につながるのだという発想を高校で教えろ」というと、「『銭もうけ』は教育となじまない」という反応が必ず返ってくる。
 だが、商業活動を教える商業高校で、商業活動の意義を教えないとしたら、いったい何を教えるのだろう。「お金について語ることは卑しいことだ」といった潜在意識を持つ人間に、商業活動の実務を教えたとして、いったいどれほどの効果が上がるだろうか。
 「商業活動」とは、何らかのサービス(商品)を提供して、それに見合う対価を得る活動のことである。だから、その商業活動を自ら進んで行おうとする人物を育てようと思えば、商業活動が意義のあることであり、その結果得られる「富」は、自らが行った商業活動という社会貢献に対する正当な報酬(ご褒美)であるというように考える発想をぜひとも教えなければならない。
 ところが、われわれ日本人の多くは、「お金について語ることは卑しいことだ」といった潜在意識を持っている。お金を持っているものを、一方で嫉妬しながら、一方では何かやましいことをしてもうけているに違いないと邪推する。
 これは言うまでもなく商人の発想ではない。商業活動をする人たちをさげすみながら、一方で商業活動をした人たちから年貢(税)という形でお金を巻き上げる武士の発想なのだ。
 学校が武士道的な精神論を教え、国民もみんなが気位を高く持ち、あるいは成り上がって士族階級になろうと背のびするなかで、我々多くの日本人が、潜在的にこういう発想を植え込まれてしまったようだ。
 だが、このような発想が主流を占める社会では、役人のように、「お上からどれだけお金をぶんどって自分たちが仕事をするか」という発想か、仕事をしてその分だけ会社からお金をもらおうといような他人任せの発想かしか生まれようがない。
  今の社会で商業活動に自ら志す若者を育てようと本気で考えるのならば、このような根本のところで、商業活動の社会的な意義をしっかりと教え込むことが必要最低の絶対条件なのである。