筆者に答えを聞く

筆者に答えを聞くのなどは全くのナンセンス

 「筆者が問題に答えられないから、問題がナンセンスだ」とはよく言われる現代文のテストへの批判です。しかしこんな批判をすること自体がナンセンスなのです。 
 一つには、文章が筆者の思っているとおりのことを表現しているとは限らないという問題があります。可能性としては、筆者の思いと、それを表現した文章との間には多少の隔たりがあるのがむしろ当たり前なのです。その場合、表現されていない筆者の思いの方を正解とするという考え方は、客観的な判断だとはとても言えないでしょう。作家研究ならいざ知らず、一般のテストにおいては、私たちは「表現された文章」によって、「表現された範囲での筆者の意図」を読み取るように要求されているにすぎないからです。
 次の問題は、私たちに与えられるのが、筆者の文章のうちの限られたごく一部分だということです。たとえばその筆者のことをよく研究していて、そこから帰納(きのう)して「ここの表現はこう理解するべきだ」というような読み方は、研究としてなら当然必要になってくるでしょう。しかし現代文の問題としては、「与えられた文章から何を読み取ることができるのか」を問われているのですから、このような本文にない先入観を元に答えたのでは、どんなにその正当性を主張しても、誤答だと判断されて当然なのです。私が先に言った、「筆者の意見と自分の常識とを混ぜあわせて理解する」というのは、このような読み方も含まれるのです。
 極端な話をするなら、元々の筆者の意図とは正反対のように受け取られる範囲を問題文として抜き出した場合、そこから読み取られることを答える現代文のテストでは、「元々の筆者の意見」とは正反対の意見が、正解の「筆者の意見」となります。
 確かにこのような問題を意図的に作ることは、作問者の良識を問われることになるかもしれませんが、たとえそのような設問であったとしても、問いと答えとの間に必然性がある限り、現代文の問題としては全く問題はないのです。

タイトルとURLをコピーしました