「人間」であることを求め、理想を追求して破れた芸術者-李徴-

-『山月記』(中島敦)の読解-  ねこふみお


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1.はじめに  2.生き物のさだめ  3.李徴の望む生き方  4.内省的な李徴
5.李徴の潔癖さ  6.詩に求めたもの  7.虎の李徴にとっての詩  8.臆病な自尊心
9.妻子の衣食のため  10.自嘲癖  11.李徴という人物

10.虎になった理由と李徴の「自嘲癖」

 「虎になった李徴が何を考え、何を感じているのか」を読みとることが大切で、「李徴が何故虎になったのか」を考えることなどさほど意味を持たないようにも思える。だが、ここでは李徴に決定的に欠けていたものは何かという視点からこの問題を考えてみたい。
 李徴が虎になった理由は、彼の告白から考えると次のようなものが挙げられる。

・不条理な運命のため
・「尊大な羞恥心」(「臆病な自尊心」)を自分の心の中で制御できなかったため
・妻子に対する愛情の欠如

 この内李徴の欠点に言及しているのは「尊大な羞恥心」「妻子に対する愛情の欠如」の二つである。だが、もし李徴に欠けていたものがあるとすれば、それは「尊大な羞恥心」しか考えられない。後者、すなわち「『妻子に対する愛情の欠如』が李徴にとって決定的な欠けていたものだ」と考えるのは、どう考えても無理がある。以下そのことについて考える。
 まず、「妻子に対する愛情の欠如」に重点を置く読み方が何故支持されるのかについて考えてみると、

羞恥心=猛獣

という図式に対して、

妻子に対する愛情の欠如=人間性のなさ=猛獣

という図式の方が我々の一般的感情に受け入れられやすいことが原因だろう。ところが後者の図式には若干問題がある。
 それは、「妻子に対する愛情の欠如」と、「人間性の無さ」とを同一視してはならないということである。これまでの読解から明らかなように、李徴は自分の価値観に忠実に、人間としての生き方を求めた人で、その姿勢は、そこらにいる普通の人間などとは較べものにならないほど徹底していた。だからたとえ、結果的に妻子のことがおろそかになり、李徴がそのことを悔やんでいたとしても、それによって彼が非人間的な人間だとは決していえないはずである。むしろ、彼はある意味では、常人離れしたほど人間的であった(あろうとした)ともいえる位なのである。
 そういう李徴を見て、なおかつ非人間的だといい得(う)る人がいたとすれば、その人は多分、テレビドラマに現れるような小市民的なマイホームパパにしか価値を見いださない人に違いない。
 一般に、何かを求めようとすれば、家庭のことがおざなりになりやすいのはよくあるだ。それなのに、他の人間的要素が大きいにも関わらず、妻子に対してさほど意を払わなかったということだけを以て、李徴の決定的欠点だと決めつけるのでは、李徴がかわいそうではないだろうか。
 更に李徴の場合、一地方官吏として任官した原因の一半は「妻子の衣食のため」である。それがたとえ自己の挫折に対する言い訳になったとしても、彼の場合、妻子に対する配慮を全く怠ったというよりは、むしろ、妻子を全く考慮の内から排除してしまうことができなかったと考えた方がよいのではないか。
 「妻子に対する愛情の欠如」をいう李徴の言葉が自嘲的な調子で述べられていることにも注意したい。これらの言葉は、「人間存在の不条理」や、「尊大な羞恥心」をいう李徴の口調とは全く違うものである。
 一般に我々は自嘲的な言葉を発するとき、そのことを痛切には意識したがっていない場合が多い。つまり、自分の非を深く悟って傷つかされる前に自らを嘲り笑う(自嘲する)ことで、自尊心を守ろうとする行動に出るのが自嘲癖なのである。本心から非を深く悟っている人間は、決して自嘲などはしない。その点、彼の自嘲癖は、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と密接に関係がある。
 このように考えてみると、李徴は、漠然とは妻子に対する愛情の不足を感じていたとしても、これらの言葉を述べている時点でさえ、それを自分が虎になった原因だとは考えたがっていないことがわかるはずだ。だから、これらの自嘲の言葉は、「ここに至って己の決定的な欠点に思い至った」というよりも、己の道に励むあまり、妻子のことがおろそかになっていたことに対して、李徴が常々無意識のうちに感じていた心の痛みが、言葉となって思わず出てきたものだという風に考えるべきだと思う。

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