言いたいことに向かう文章
これまでのところで、作文に取り組む上での基本的な考え方と最低限の決まりについて学びました。
この章では、「言いたいことに向かっていく文章」で説明した、「言いたいことを言うために、その文章を構成する全ての材料が必要な要素となって必要な場所に置かれている文章」とはどのようなものであるのかということを、実際の例文で見てみることにしましょう。
この章で説明することは、簡単なことを言っているようでいて案外難しい、しかし、文章を作成する上では要(かなめ)になることですから、ただ読み流して理解したつもりになるだけではなく、しっかり時間をかけて実際に自分で作業をしてみてください。(ディスプレイで見るよりも、このページをプリントアウトしてじっくり考えることをお勧めします。)
それでは問題にいきましょう。
街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。
街頭インタビューで、高齢者に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるインタビュアーを見かける。そのうえ、「おいくつですか。」「お元気ですね。」などと言っている。(第一段落)
高齢者に対して、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるべきではない。自分の祖父母でもない人に、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけるのは、デパートで働いている店員や交通機関で働いている人たちに、「おねえちゃん」「おにいちゃん」と呼びかけるのと同じく失礼である。(第二段落)
高齢者に聞くと、多くの人は自分が老人だとは意識していないという。電車の中で席を譲られて機嫌をそこねる高齢者もいる。自分の孫でもない他人、それも一人前の大人から、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかけられたときには、「自分も、そんな年に見えるのか。」とショックを受けるだろう。(第三段落)
友人が勤めている病院では、医師や看護師が高齢の患者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばず、その人の名前で呼んでいるという。相手の個性を消し去って、見かけの年齢だけで一まとめにする呼びかけはやめるべきだ。(第四段落)
(※なおこの例文1,2は、京都書房『国語表現?』の教科書P20から引用しています)
【問題】
- この二つの文章を読んで、文章の完成度についてそれぞれどのくらいなのかについて考えてみましょう。
- この二つの文章はどちらが読みやすいですか。二つの文章を構成する部品はほぼ同じなのに、一方が読みやすいのはどこが違うからでしょうか。
問題に答えることができましたか。
もちろん例題2の方が読みやすくなっているはずです。それでは例題2はどこが例題1と変わっているのでしょうか。
その解答を考えてから次のページに行ってくださいね。
なお、例文2の文章としての完成度については、追々じっくり考えていきます。それがこの章のメインテーマですから。