自分も同質のこと?…例

自分にも批判されるべき同質のことはないか…例文

  「五番目のサリー」
 主人公サリー・ポーターは、五つの人格を持つ多重人格者である。彼女はなかなかその事実を受け入れることができなかった。が、精神分析医ロジャー・アッシュの献身的治療により、彼女は他の四つの人格を一つずつ彼女自身と「融合」させていった。ここでの「融合」とは、分裂してしまった「自我」を元に返すことをいうのだが、一人の「自我」といわれても、私たちにはさほど重大な意味を持って響いてはこない。それは、あるいは私たち日本人の民族性なのかもしれない
 しかし、考えてみれば我々もある意味では多重人格といえるのではないだろうか。たとえば、私は、「娘」「姉」「生徒」として、相手や状況に応じた私を使い分けて生活している。そして、それらに対応する感情や行動範囲もまた異なっているのである。このように考えると、多重人格が人間形成の基礎を担っていると言っても過言ではないように思えてくる。

 これは読書感想文の一部である。小論文ではないが、「自分にもその批判されるべきことと同質なものはないか」という発想の大切さがよく分かる例になっている。(p78参照

※「かもしれない」

 例文に「かもしれない」という表現が出てくるが、こういう言い方には気をつける。
 「かもしれない」ということは、「でないかもしれない」ということだ。したがってこういう言い方をする時は、筆者はそのことについて、「論理的には何も言っていないのと同じだ。」と思って読み捨てても、大意に影響はない。
 だから、論文を書いている時、自分の主張しようとする本題を、「かもしれない」という言い方でお茶を濁してはいけない。それを主張する以上は、自信がなくても曖昧な言い方はせず、「自分の意見はこうだ」という姿勢を何が何でも貫(つらぬ)く。
 しかし根本の原因は、自分の主張に自信がないところにあるのだから、練習の段階ではそこのところを再検討して、十分考察を深めることが大切だ。

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