自分と共通点はないか

自分と共通する点はないか考える

 君たちは往々にして、自分と対象とが違う点にばかり目を向けがちである。
 対象がすばらしい場合には、「とても自分は及びません。見習っていきたいと思います。」になるし、対象がひどい場合には、「とても信じられない。そんなことが同じ人間として許されるはずがない。」となる。しかしこれではとうてい奥の深い文章になどなるはずがない。
 それよりも、論じる対象についてはむしろ「自分と共通する点はないか」ということを考えてみるべきである。そうすれば、対象がすばらしい場合には、違いは違いとして、共通する点に触れることで励まされ、これからの努力の方向も見えてくる。
 何かを批判しようとする場合にも、「自分にもその批判されるべきことと同質なものはないか」と疑ってみることが大切だ。
 「いじめ」が起こった。子どもの「凶悪事件」が起こった。ひき逃げをした人がいる。このような行為をする人たちに対して、「普通の人間はしない異常なものだ。」と言い切れるだろうか。
 多くの場合、「いい子」や、「ごく普通の人」だったはずの人間が「異常」な行為に走るのである。
だから、このような場合、我々と共通する面を持つ「ごく普通の人」が、なぜそのような「異常」なことをしてしまったのかというような考察をしないと問題の本質をとらえた議論にはならない。
 人は誰でも自分だけは別だと思いたがるものだから、とんでもないことをしでかしたやつと、自分に共通点があるなどとは、誰も認めたくはない。だが、そこをあえて自分との共通点を一生懸命考えることで、「同質なものがあるのに、なぜ、『異常』に走る人とそうでない人がいるのか」とか、「多くの人を『正常』にとどめているのは何か」とか、「『異常』に走らないために人は何をしなければならないか」とか、「自分も含めて、みんなはなぜ許せないことをしてしまうのか。」とかいうような発想で、一段深い視点からものごとを見ることができるようになるのである。

「自分にもその批判されるべきことと同質なものはないかと疑ってみる」ことによって、「〜は異常で、許せない。」といった一面的で底の浅い思考から抜け出せる。
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