逃げの発想に気をつける
逃げの発想に気をつける
学校教育について、「人間は学力ばかりが全てじゃない。もっと人間性を見てほしい。」と君たちは主張する。「個性の尊重」は言うまでもなく教育における重要な課題なのだから、それを主張すること自体は全く問題がない。しかし、このような主張は、往々にして「逃げの発想」から出てくることが多いので、気をつけておいたほうがよい。
極端な例として、大学入試にも「学力だけではなく人間性を尊重するべきだ。」と主張することを考えてみよう。この場合、現実問題としてどのような選抜方法をとればよいだろうか。
今日実際に行われている「一芸入試」もその一つの方法だろう。だが、例えばマスコミで知られているタレントが有名大学に入ったなどという話を聞いて、「そんなものは人間性でも何でもない。」と逆に反発を感じる人も多いのではないだろうか。
選抜である以上、どこかで優劣を付けなければならない。その判断材料として、もし本人の持つ学力、技能、社会的な活躍度、受け持ち教員の評価などの客観的な判断材料を取り上げないとすれば、おそらく、面接での印象度を合否判断の決め手にすることになるのだろう。
しかし、「学力だけではなく人間性を尊重するべきだ」という主張をする人たちに、試験官を引きつけるだけの人間的な魅力などほんとうにあるだろうか。
面接で試験官を引きつけるほどの魅力があるのに、他には何も評価すべき客観的な材料がない人物など、ちょっと考えにくいのではないだろうか。
「自分はいい物をもっているはずだ。」「なのに、先生は、学校は、ちっとも自分のことを評価してくれない。」「もっと自分を認めてほしい。」そういった発想が、「もっと人間性を評価してほしい」という主張のもとになっているとしたら、「点数化・評価してもらえない他人に勝る自分の魅力」とはいかなるものか、もう一度よく自分を見つめ直してみなければならないのではないだろうか。
自分が評価されないから、「そんなものでは人間の価値を量れるはずがない。」と反発して、負け惜しみを言っているだけだとしたら、そんな人生はちょっと悲しい。もう一度自分の生き方を振り返ってみてほしいものである。