子どもの甘えを捨てる

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子どもであるという甘えを捨てる

 前項で説明した、「自分にも責任があるものとして論じなければならない。」ということについて、もう一つ別な例を取り上げて考えておこう。

 最近の大人は、国会中継などを見ていても分かるように、自分勝手な考えを他人に押しつけたり、日本代表の会議中に寝ていたり、反論する人に水をかけたり殴(なぐ)りかかったり、私たち子どもが見ていてもばかげている。そして、莫大なお金をくだらないことに使っている。そんな大人たちを見て、私たちは何を考え、何を知って成長すればいいのか。どうしてそんな大人たちの教育を受けて、命の大切さ、儚(はかな)さが分かるのか。
 私は今のこの最悪な日本の状況は、大人たちの姿が作り出したものだと思う。そして、この状況を回復していくには、とても時間が必要で、とても大変なことだと思う。

 この文章は、自分を子どもの立場に置いて読むとなるほどもっともだと思うだろう。だが、この文章のように「自分を子どもの立場に置く」ということは、そのことについて一切責任を持たない立場から、「責任を持つべき者はしっかりしなさい。」と批判していることにほかならないのである。だからそのような、自分の責任を全く意識せず、他人の批判に終始している人の文章が、前向きな視点を含む「論文」になる可能性はない。
 君たちは、今は十八才でまだ子どもだといえるかもしれない。しかし少なくとも四年後には、その時の高校生の右のような主張に対して、今度は「大人」として答えていかなければならないのである。その時にも君たちは、「まだ大人になったばかりだから」と言い訳をするだろうか。
 大人の困った言動については、同じ大人として何らかの対応が必要なことはいうまでもない。しかし、「子供である」という免罪符(めんざいふ)を持って大人を批判するのは、子供であることに甘えているにすぎないのであるから、そのような甘えた考え方からは早く卒業しよう。

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