社会的な見地が必要

個人の努力・社会的な見地からのアプローチ

 小論文で問われるのはほとんどの場合、社会的な問題である。その社会的な問題に対して、誰でも考えつくような個人的な努力だけを強調してはいけない。
 たとえば環境問題について考えてみよう。この手の問題に対して、君たちの答案では、「環境汚染を少しでも食い止めるために、使い捨てをやめてものを大切に使い、合成洗剤などの使用も控えるべきだ。そういうことをみんなで気をつけていけば、問題が解決していくはずだ。」というような論調になりがちだ。
 しかし、もう何年も前からそういうことが叫ばれていて、なおかつそれをある程度行動に移そうとしている人が多くなっているのに、いまだにその必要性が声高に叫ばれているのはなぜなのだろうか。
 それは、社会的な問題が個人的な努力だけでは片付けられない多くの要素を含むからである。
 「ものを大切に使おう」という。だが、新しいものを買う方が壊れたものを修理するより安い社会で、あえてものを修理して使おうとするのは容易なことではない。
 ものを作る側は、修理のしやすさを売り物にはせず、数年たてば買い換えさせるようなもの作りをする。ものを買う側も、長く大切に使うことを選択の基準にはせず、ちょっと飽きてくるとすぐに買い換えようとする。こういう生産者と消費者の両方の姿勢が、今日の大量生産大量消費の傾向を生み出しているのである。
 そういうことを考えずにおいて、消費者の個人的な努力ばかりを強調しても、問題が解決することは絶対にあり得ない。
 実際には、企業や政府の姿勢が我々の生活を大きく規定する一方で、我々の意識が、また企業や政府、ひいては他の人々の意識を変えていく要素を持っているのである。だから君たちは、個人的な努力の必要性を論じるだけで満足してしまわずに、個人の努力を支える社会的な見地からの問題へのアプローチを欠かさないように心がけてほしい。
 この点で、社会生活の中で個人がどのような努力をすることが求められるのかを具体的な生活の側面から強調しがちな家庭科の資料集を参考にする場合には、論がそれだけの視点で終わってしまわないように十分気をつける必要がある。
 また、食生活などの個人の努力に重点を置いた文章においても、世間でよく言われるような常識的な取り組みを改めて論じてみてもおもしろみはない。何らかの意味で自分独自の視点を主張できるように工夫しなければならない。
 一般に、個人的な努力だけを論じて内容のある文章を書くのは、社会的な視点から問題を論じる場合よりもはるかに難しい。そのことを知って、その上で何を書くべきか内容を考えよう。

すべてを個人の努力に帰(き)するのではなく、社会的な
見地からの解決方法を探ることが大切である。
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