何について論じるか

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対策の内容について必ず述べる

 具体的な例文をいくつか取り上げ、それを添削する形で、小論文に何が必要であるかについて以下三項にわたって説明する。
 前章の〈自分の文章を検討する目〉を応用して、次の例文にはどこに問題点があり、どう改善しなければならないかについて考えてみよう。

例1
 これからの高齢化社会に向けて、我々はどのように取り組んだらよいのだろうか。
 最近街では、点字ブロックなどを見かけることが多くなった。
 しかし、まだまだこれらの対策では不十分である。
 高齢化になりつつある今、日本ではその対策として何をすることができるか考えるべきだ。

 第一段落で「これからの高齢化社会に向けて、我々はどのように取り組んだらよいのだろうか。」と問題設定した以上、四段落め以降、「これからの高齢化社会に向けて、我々はどのように取り組んだらよいのか。」ということについて、自分の考えを絶対に述べなければならない。
結論が、「高齢化になりつつある今、日本ではその対策として何をすることができるか考えるべきだ。」では、問題提起以前に逆戻りしている。
次の例文はどうだろうか。

例2a
 この情報化社会にみんなが対応できているのだろうか。
 確かにインターネットは便利だ。だが、それを使いこなせない人は多い。
 これからは、老人や子どもでもたやすく使えるインターネットの環境を整備するべきだ。

 これも第一段落で「この情報化社会にみんなが対応できているのだろうか。」で始めた以上、第二段落以降は「対応できていないこと」にかかわる考察になっていなければならない(p26参照)。ところがこの第二段落目は、急にそれとは関係のない「インターネットの便利さ」に言及しはじめて、論理の流れがおかしくなっている。これは、「確かに」を受けた部分が、その前の部分から当然予想されるであろう意見に対する反論になっていないことが原因である。
 また、「情報化社会への対応」と「インターネットへの対応」とを同一視している点も気になる。今日の社会の情報化に大きく貢献しているインターネットではあるが、情報化社会への対応については、インターネット以外にも様々な問題を考えなければならない(p63)。
 それらのことをふまえ、次のように改善してみよう。

例2b
 今日の情報化を支えているものにインターネットがある。これにみんなが対応できているのだろうか。
 現状からするとなかなかそうとは言い切れない。
 これからは、老人や子どもでもたやすく使えるインターネットの環境を整備するべきだ。

 しかし、これでもまだ問題がある。
 一般に、対策を講じなければならないことを主張する時、「対策を講じなければならない」で主張が終わっては無責任になる。それは、「どのような」対策を取らなければならないか、少なくともその方向性だけでも示しておかないと、「対策は必要だけれども、どうするかは私には分からないから責任ある人が考えてね。」といっているのと同じことになってしまうからである。
 実は先の例一の文章も、問題は第一段落の問題提起を受けていないということだけではない。この文章も、たとえば第一段落を、「これからの高齢化社会に向けて、我々は十分な対策を取る必要がある。」というふうに直してみても、結局は、その対策の内容について触れないことには、大人の意見にはならないということに早く気づかなければならない。

対策を講じなければならないことを主張する時は、対策の内容・方向性について必ず述べる。
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