自分の文章を検討する目

自分の文章を検討する目

 ここまで第四章・第五章にわたって、思考を整理し、文章を組み立てる方法について説明した。
 そこでこの項では、自分の論が果たしてうまく構成されているかどうかについて検討する方法を見ておこう。
 まず、他人の文章を正確に読もうとする場合のことを考えてみてほしい。このとき我々に必要なことは、なるべく自分の考えを交(まじ)えないように注意しながら、述べてあることの中に解釈の根拠を求めて、そこに何が書かれているのかを常に問う姿勢を持って、注意深く読み進むことである。
 それは具体的には、文章の頭から、なるべくこだわれるだけこだわって、たとえば、筆者は「何について書こうとしているのか」「次には何を述べるだろうか」「なぜこう書いてあるのか」「これはどういうことだろうか」といった問いを、本文をヒントにどんどん発しながら理解を深めていくということである。
 これを文章を書く側から考えてみると、そのような読みを裏切らない文章を書けということである。先に説明した「文章を構成する各要素が、その主張に向かうための材料」になっている文章(p19)とは、実はそのような問いかけをスムーズに導き、それに答えていく文章のことなのである。
 だから、自分の文章を検討するには、そのような読み方を自分の文章に対してしてみることが一番だ。文章を書いている最中は、興奮していて、自分の文章を客観的に見ることは難しいかもしれない。しかし、少したった自分は、自分という名の他人である。読者として自分の文章を読み直すことによって、かなり客観的にものを見ることが可能になるはずだ。
 君たちがすぐ頼りにする「他人(先生)に文章を見てもらって、自分の気づかなかったことを知る」ということも確かに大切なことだ。だが何事についてもいえるように、他力本願ではいつまでたっても自立は不可能である。むしろこうやって自分で自分の文章を検討し、練り直すことを繰り返しているからこそ、他人のちょっとしたアドバイスにでも、啓発(けいはつ)されもするのである。
 「推敲」という言葉がある。この言葉の由来(ゆらい)は君たちも知っている通りだ。中国の唐で、賈島(かとう)という人が、自分の詩中の言葉について、「推(お)す」がよいか「敲(たた)く」がよいかと迷っているうちに、首都長安の長官、韓愈(かんゆ)の行列につっこんでしまったというところからできた言葉である。
 今日私たちは、「推敲する」と簡単にいう。しかし、賈島の「推敲」はそんななまやさしいものではない。どちらの表現がいいかを夢中で考えているうちに、自分がどこを歩き、何をしているのかも忘れてしまうほどの字句に対するこだわりなのである。
 このような推敲の一番の基本は、本項で説明した「自分の文章を検討する目」だ。とことん自分の文章にこだわりながら、他人の意見も参考にして、文章に対する本当の実力をつけていってもらいたい。

自分の文章にこだわって推敲を重ねることが、文章
上達の一番の近道で

ある。

※推敲と「推敲」、カタカナ書き

 前項では、括弧なしの「推敲」と括弧付きの「推敲」とを私が使い分けていることに、君たちも気づいただろう。

推敲
特別な意味を強調しない時。
「推敲」
言葉の引用。または、「賈島のように厳しく表現にこだわり、文章を練りあげる」という意味で使っていることを特に強調したい時。

 このように、同じ言葉でも特別な意味を持たせていることを強調したい時には「」を使うことがある。
 普通ひらがな書き・漢字書きするところを、カタカナ書きにするというのも、それによって特別な意味を持たせるためだ。
  (例)

広島……………広島という場所
ヒロシマ………原爆投下地としての広島

 逆にいうと、普通、「」やカタカナ書きを使う習慣になっている場合以外は、意味もないのに「」を付けたり、カタカナ書きにしたりしてはいけないということだ。
 また、特別な意味を強調するといっても、これを使うのはどうしても必要な場合だけにするべきだ。あまりこれに頼りすぎるのは思わせぶりになる(p65参照)。

※「推敲」で生まれる文章を読み取る力

 文章を書く訓練をする中で培った筋道を立てて考える力が、他人の文章を読む時に威力を発揮するということについては、改めていうまでもないだろう。

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