読点は思考の息づかい

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思考の息づかいを感じさせる読点

 前項では、読点の多さを「作者の個性」という言葉で片付けた。このことについてもう少し考えておこう。
 読点は、「文章を読む時、少し間を置いて読む(区切って読む)方が文意を理解しやすい時に使う。」といった。これを別の言葉で説明すると、読点から読点までが筆者の思考の流れの一区切りになるということだ。
 たとえば次の例では、

  1. 僕は学校で国語の授業の時ねこ先生に褒められた。
  2. 僕は、学校で国語の授業の時ねこ先生に褒められた。
  3. 僕は学校で、国語の授業の時ねこ先生に褒められた。
  4. 僕は学校で国語の授業の時、ねこ先生に褒められた。
  5. 僕は学校で国語の授業の時ねこ先生に、褒められた。

ちょっと無理をすれば、一から五まですべて可能だが、それぞれ微妙に意味するところは変わってくる。ニュアンスの違いを強調すると、

2. 僕は〜褒められた。
3. 学校で〜褒められた。
4. 国語の授業の時〜褒められた。
5. ねこ先生に〜褒められた。

という感じだろう。この筆者の思考の微妙な息づかいが、読点の打ち方に現れるのである。これを見れば、「主語の後には読点を打ちなさい。」というような指導が、いかに形式的で内容のないものであるかがよく分かるだろう。「推敲」のレベルではここまでこだわってほしい。
 なおこの例文は、あくまで思考のまとまりを示す読点の打ち方について説明するためのものである。こんな修飾部分の多い文章をあまり書くべきでないことは言うまでもない。

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