「が」に注意する
「が」に注意する
論理性を重視した文章を書こうとする時、注意しなければならない言葉に接続助詞の「が」がある。この言葉は、その前後がどのような関係のものであっても結びつけてしまう働きがある。これはある意味非常に便利なのであるが、反面これを無自覚に使っていると、文章を構成するパーツ相互の関係があやふやな、雰囲気だけでつながっている文章になりやすい。
実際、頭の中にある未整理な内容を何とか文章にしようとすると、この「が」が多用される文章になりやすい。それは、この「が」が、未整理な内容を未整理なまま一応の文章につないでくれるために、筆者が自分の論理のつながりの甘さに無自覚になってしまうためだ。
これは我々の日常生活でよく見かけそうな文章である。しかし、「国民にはこのように考える人がいる」という前提と、「あなたの意見を伺いたい。」という部分とをどう関連させて述べているのかと改めて問われると、これを書いた本人でさえ戸惑うに違いない。
なのか、あるいは、
なのか、あるいはもっと別のことを言いたかったのか、それを正確に表現しようとすればかなり苦労するはずだ。
本当は、この例文だけを取り上げて、「正しい」とか「こう直すべきだ」とかいってみてもあまり意味はない。だが、文章の至るところでこういうふうに論理関係を曖昧にしたままにしている文章が、読むべき内容をきちんと伝える、筋道の立った文章になどなるはずがないということは、君たちにも容易に想像がつくだろう。
このように、文章を書いている私たち自身からさえも、文の論理関係の曖昧さを隠してしまうのが、この「が」の怖いところなのである。だから、文章を書いていて自分がこの接続助詞の「が」を使おうと考える時には、その前後の部分を、これがどういう関係でつなぐのかということをよく考えてみるべきである。この「が」によって論理関係があいまいなものをなんとなくつなげようとしてはいないか、そこに使うべき言葉としてこの「が」は本当に最適なのか、これらのことをよく吟味して、論理の流れをなおざりにしないように、自分の文章を組み立てる言葉を選ばなくてはならない。
他に、この接続助詞の「が」と似た働きをするものに、文を連用形で中止して、次の文につないでいく言い方がある。たとえば、
のような言い方である。この場合も、「が」についてと同じことがいえるから、前後の関係をよく考えてから使うようにするべきである。
前項の〈未整理の思考〉の例一(p33)を見れば、これらの言い方の陥りやすい特徴がよく分かるはずだ。
前後の関係が曖昧でも文をつなげてしまうので、使う場合はよく注意する。