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Re: serendipity 投稿者:とみかわ ゆい 投稿日:2010/03/28(Sun) 07:20:06 No.9

dog.gif 私は、自分を悲劇のヒロインにしたてて嘆くような、被害妄想のきらいがある。そして、そんな生き方をこれ以上続けるのは御免だ。しかし我ながら厄介な癖である。努力することに疑問を感じ、くよくよすることに気力や体力、時間を浪費する。その場しのぎの楽なことを好み、いわゆる自分に酔うだとか、今の自分と過去の自分とを比較することをやめ、ライバルの存在も認めないなど。わかりやすい敵や目標設定の基準を認めないから、不安と無力感に苛まれる、皮肉だ。報われる努力をするためには、明確なビジョンが必要である。ではどうするか。
まずは、「自分で文章を書き練り直すこと」と、「いわゆる自己啓発本を読むこと」を比較したい。前者は手元に紙と鉛筆があれば十分である。勿論このホームページの閲覧は必要!一方で、後者はドラマだ。そこには本を選択する出会いとか、筆者の思考の流れを追いかける旅、読後に策を実践する戦いなど、段階的なストーリーがある。悲劇に酔っている人は、客観的に自分を認知し、実際に自分をかえることでハッピーエンドを迎える。
かわろうとする自分に気づくことは、こわさを感じることだ。しかし、自らをよりよく成長さるために努力しないことは、本人の意識の有無を問わずただただ、衰え弱る方向へと努力していることになるのではないか。時は残酷である。「立ち止まる」努力、現状維持でなにもしないことは、時流のスピードに追い越される。いわゆる過去を生きるヒトをうむ。「不安と無力感」を感じる自分に頑固になると、さびしさを感じ、再び酔う。それは、戦いを続け少々孤独でも、未来を見据えて今を生きるヒト、努力をしているヒトと区別できる。また、一見立ち止まっているようでも、本人に次の一歩を踏み出そうという考えがあれば、大丈夫だ。ゆっくり一歩を踏み出すことも、あって然るべきである。往々にして、そのような一歩は歩幅が大きく、より自分をかえるだろう。同様にただ過去にとらわれてばかり生きるのと、ときに過去を振り返って考えることは、区別できる。考えることで身を守るのだ。為せばなる。限りある努力はそれに見合った分だけ報われると考える。ただし、報われるタイミングを自分で限定するには、計算された努力が必要だと考える。衰え弱ることも、より強く成長することも、同じ報いであるならば、努力のベクトルをわたしがコントロールしようと感じるはずだ。そして、啓発本の読書感想文を書くことは、よりよい自己啓発につながると私は考える。
えっ、体験も書きこまなきゃ説得力がないですか?!それでは、啓発本の具体例を途中までためし、あまりの威力にひるんで、再び衰え弱ることを選んだ、悲劇を明日の朝書き込ませていただきます。そうですね、それはつまり、啓発本の読書感想文になるでしょうが、あしからず。

「世の中は考える者にとっては喜劇であり、感じる者にとっては悲劇である」 18Cイギリスの作家
ホレス・ウォルポール


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