論を深める筆者の視点

反対意見を考えてみる

 読んでおもしろみのある文章とは、何らかの意味で他人とは違った自分独自の視点を持っている文章である(p47参照)。だからそういう文章を書こうとすれば、他人とは違う自分独自の内容を、どうやったら意見の違う他人に納得させることができるかということを考えて文章を書くということが絶対に必要だ(p1参照)。

読んでおもしろいと思う内容の文章を書くためには、他人がそのことについてどういうふうに考えるだろうかということ考えた上で、それらの人にどうやったら自分独自の意見を納得させることができるかということを考えて文章を書くことが絶対に必要である。

 ところが君たちの場合は、おおむね自分の主張をすることだけに一生懸命で、その主張に対して他人がどういう意見をもつだろうかということにまでは気が回らないことが多い。
 たとえば君たちの論文では、「子どもを産むことができない人の切ない心情を考えれば、代理母を認めないのは理解できない。」とか、「殺された者の身内の心情を考えれば、精神鑑定の結果異常と認められた犯罪者を今のように一般の犯罪者とは違う扱いにしているのはおかしい」とかいった主張になる。
 だが、「子どもを産むことができない人の切ない心情を認めてもなお、代理母を認めて子どもを手にすることには問題が多すぎる。」というのが、今の日本政府の見解なのである。
 犯罪を犯した精神に異常を持っている者の扱いについても、現在いろいろと取り上げられるように、システム上の問題点は確かに多い。しかし、自分のしている行為も自覚していないような人たちを、一般の犯罪者と同列に扱い、自分のした行為を償わせようとするシステムをそのまま適用しようとしても、それはやはり基本的な考え方に無理がある。
 このように、反対意見が予想されるのに、それをまったく考えもせず、一方的に自説を主張してしまうから、一人よがりで底の浅い脳天気な論文になってしまうのである。
 意見を述べるときには、「反対意見の人がなぜそういう主張をするのか。」ということを常に考える習慣を付けよう。

よいところ(長所)を述べたい時には悪いところ(短所)を、悪いところを述べたい時にはよいところを一応考えてみる

ことで、反対意見をふまえた、説得力のあるよい文章が書けるようになるはずだ。
 ところがこの、「反対意見をふまえた、説得力のあるいい文章が書ける」というのは、本当は、「きちんと書ききることができれば」の話なのである。実際には、そういうことを考えれば考えるほど、他人の主張に反論できなくなってしまい、何がなにやら訳が分からなくなる。だから「文章など考えたくもない」というような話になるのだけれども、それは何も君たちだけの話ではない。

知れば知るほど書けなくなる

というのは、誰にしたって同じことなのだ。この本を書いている「ねこ」にしたって、君たちより少しはものを知っているから、君たちのレベルでの思考なら、「ここはこう考えなければならないだろう」などと簡単にいうが、政府の中に入ってその実情を知ってしまうと、途端に今いっているようなことなどは言えなくなってしまうだろう。

文章を書くとは
 自分独自の思考を作り出す創造の営みである。(p6参照

 だから君たちは、この困難にあえて挑戦し、これを乗り切ってほしい。

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