教材論 >  羅生門  情緒的に生きる自分を見つめる精神的苦痛

『教材論』総目次  |  山月記  「人間」であることを求め、破れた李徴  >

この章は「羅生門  情緒的に生きる自分を見つめる精神的苦痛」です

 『羅生門』から、「生のエゴイズムを容認せざるを得ない絶望」などを読み取ってはいけません。ここにあるのは、「理性的に生きることを望みながら、結局は下人のような不徹底な生活を送らざるを得ない人間」に対する絶望なのです。

この章の記事一覧

1.下人はなぜ門の下で逡巡(しゅんじゅん)していたのか

 「下人が盗みを働く勇気を持つに至ったのはなぜか。」この問について考えていく中で...

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2.下人が老婆の論理に納得する(説得された)はずはない

 この下人に盗みを働く勇気を与えたのは、言うまでもなく、死人の髪を抜く自己の行為...

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3.老婆に対する憎悪が悪事実行の原動力

 では老婆の話のどこに、下人に悪を行なう行為に踏み切らせる要因があったのだろうか...

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4.下人は理性的に行動を決めず、情緒的に生きる人間

 本来、我々が行為の是非(ぜひ)を決定する場合には、倫理的な判断に基づいてなされ...

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5.下人は我々の「情緒的な生き方」を象徴している

 私が「羅生門」から読み取るのは上のような生き方をする下人の姿である。  我々は...

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6.自分が情緒的に生きていることを自覚している人間(芥川)の苦悩

 しかし、なるべく理性的に考えて自分の生き方を決めていきたいと願っている人間が、...

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 このページは「こんな読み方がいいんじゃない」内のカテゴリです。
 一般に考えられている読み方ではどうも納得がいかない作品について、読解を試みます。『羅生門』『山月記』『舞姫』など。

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