以上、李徴という人物の人間像について様々な視点から読解を試みてきた。これらの考察を通じて読みとれる李徴の人物像は、内省的で自分の価値観を守ることに少々性急ではあるが、人間としてのあるべき価値ある生き方を求め、「詩人として名を成す」ことを求めながらも、「己の珠なるべきを半ば」しか信ずることが出来なかったが故に、結局「尊大な羞恥心」に身を任せ、己の人生を空費してしまった芸術者というものなのである。『山月記』とは、そういう李徴の魂の告白の物語である、という風に私は読みたい。
付記
この論文は、岡山城東高校平成8年3月発行の『紀要』に掲載されたものを、HPに掲載するに当たって加筆訂正しました。
http://www.syouron.com/kyouzairon/2006/07/11.php
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